TOMONI
GO TO 2100 ともに生きる江戸川区

ブリング・イット・オン

波木 銅Namiki Dou

 高橋は十五歳にして、世界でいちばん強かったことがある。
 数年前にほんの少しだけ流行った、『コンバット・アリーナ』という安価でチープな対戦格闘ゲームがあった。それのオンライン上の世界大会で、彼女はみごと優勝を勝ち取った。
 最初で最後のその大会に、高橋はニューヨークの時刻に合わせるために午前四時から参加した。時差をものともせず、全世界のコンバット・アリーナのプレイヤー(百人ちょっといるかいないかくらい)の中で彼女は頂点に君臨したのだった。
 その一度以降、公式の大会は二度と開催されなかった。コンバット・アリーナは格闘ゲーム史に名を一文字も残すことはなく、大赤字を叩き出したその小規模な開発スタジオは借金を返せなくなって消滅した。

 高橋はふと、その……自分が世界でいちばん強かったときのことを思い返した。
 コンバット・アリーナのゲームとしてのクオリティは非常にお粗末なもので、同ジャンルの有名タイトルを差し置いてまでこれをプレイする価値などなかったと思う。キャラクターのパワーバランスの調整もめちゃくちゃで、数十用意されたキャラのうち、実戦に耐えうるのは三人くらいだった。
 ビジュアルも音楽もダサかったし、読み込み時間も無駄に長い。ついでにローカライズも微妙だった。試合開始の合図として「Bring it on!」という書き文字のテロップが画面に表示されるのだが、それが日本語版だと「かかってこい」との直訳が白文字のゴシック体のフォントでデカデカと浮かび上がってくるのが最悪だった。
 システム上の不備や不具合も山ほどあった。ここまで不完全なゲームは今どきむしろ貴重だと、皮肉としての称賛をたっぷりと受けていた。
 とくに取り沙汰されたのが、キャラクターのボイスが本来とは別のものに入れ替わってしまう、というバグだ。
 屈強な格闘家の男・ブライスをプレイヤーキャラとして選択し、試合を開始する。
 コマンドを入力する。ブライスは攻撃のモーションを繰り出しながら、その容姿には似つかわしくない高くて女性的な声をあげる。日本語版では語尾に「〜わよ」とつける、バリバリに役割語のセリフだ。
 こういう設定のキャラクターなわけではなく、再生されるボイスデータが不具合で別のキャラクターのものと入れ替わってしまっているのだ。ブライスの声は、女魔術師・シャンドレルのものにすげ替えられている。その様子が滑稽だと少しだけ話題になり、コンバット・アリーナのプレイ人口はちょっと増えた。
 このゲームは開発中スタッフの間で一悶着があった。それが原因で、プログラムが不完全な状態でリリースされたらしい。この通称『憑依バグ』は、修正までに半年間を要した。
 間違いなく、コンバット・アリーナはとてつもない駄作だった。それでも高橋は文句を言いながらこのゲームをプレイし続け、世界最強にまで上り詰めてしまったのだった。
そこまでやりこんでいたのは、ひとえにキャラクターが好きだったからだ。
もっとも、このゲームに綿密なストーリーなど存在しない。
 でも、バグで本来と違う身体を割り当てられてしまったシャンドレルの気持ちが、なんかよくわかった。たまったもんじゃないよな。

 昼食中に眺めていたスマホに、あるゲームメーカー倒産のニュースが流れてきた。それから連想して、出来の悪いマイナー格ゲーに耽溺していたときの記憶を掘り起こしていた。
 ここで、唐突に思い出に浸るのを中断させられる。
「あのさ。高橋さ、昼飯いっつもコンビニのやつじゃん。俺、毎日早起きしておにぎり作ってるんだけどさ、お前の分も用意してやろうと思ってさ」
 いきなり何を言い出すのかと思ったら、担任の山本は手元のランチバッグから野球ボール大のおにぎりを取り出して、こちらに見せてきた。表面に鮭フレークがまぶしてある。
 彼は最近、教師としての役割以上に高橋につきまとってくるようになった。クラスで孤立しがちな高橋を気遣っているのかどうか知らないが、そんなことされたくない。
今日もこうして、昼休みなのにわざわざ教室に来て話しかけてくる……。
「あ、いや……すみません、気持ちはありがたいんですけど……」
 ありがたくはない。おじさんが触った米、汚いので……。
「ほら。試しに一個。高橋には栄養つけてほしいからさ。日本人なら米食って元気出さないとな!」
 それを突っぱねるための勇気が足りない。観念して、高橋は引き攣った笑みで会釈して彼の手からおにぎりを受け取ろうとする。束の間の休み時間にこれかよ。勘弁して……。
「おっ!」
 高橋の席の近くで仲間とともにはしゃいでいた呉が、とつぜんこちらに関わってきた。なにやら興味ありげに高橋と山本の間に割って入ってくる。
「ちょうどいーや。先生、ちょっといい?」
 呉は高橋が受け取ろうとしたおにぎりを、奪うように取り上げた。
「ねーねー、みんな注目ー!」
 そして、いきなり声を張り上げた。半分くらいの生徒が、彼女のほうへ注目する。
呉は山本のおにぎりを右手に持って、自分の頭上にかかげた。そのままそれをゆらゆらと揺らす。高橋も山本も、わけがわからないまま無意識のうちに彼女の手元に注目していた。
「よーく見ててね。いくよ! 三、二、一……」
 パン、と、おにぎりを包み込むように両手を合わせた。
 彼女の手にあったはずのおにぎりが忽然と消えてなくなった。呉は開いた両手を周囲に見せつけて、おにぎりの消失をアピールする。教室がやや盛り上がる。
「ん?」
 山本もびっくりしたようで、眉間にしわを寄せて呉の手を見つめる。
「おい。おにぎり、どこやった?」
「異空間に消し飛んじゃったみたい」
 ささやかな笑いが起こる。山本はなにか言いたげだった。呉はそんなことお構いなしに、パフォーマンスを披露したことに満足してその場を去った。何事もなかったかのように友人たちのもとに戻っていく。山本は釈然としない態度のまま、なにも言わずに教室を出て行った。ばつが悪くなったらしい。
 呉は勉強の成績も、話の面白さも下から数えたほうが早いくらいだ。それでも彼女は人気者だった。彼女はたびたびこんな感じに、気まぐれに得意な手品を披露する。
呉の手品にはみんなが感心するけれど、高橋にはタネがわかっていた。今のは、大ぶりな動きでみんなの視線を誘導している間に、おにぎりをとっさにブレザーの懐にしまったのだ。高橋はそれを見逃さなかった。格ゲーだったらガードのあと確実に弱攻撃を当てられるくらいの、目で見てわかる間だ。
 呉とはまともに話したことがない。むこうはきっと、こっちにはこれっぽっちも興味ないだろう。助けてくれたわけではなくて、単に目立ちたかっただけだ。
 彼女がちょっと羨ましい。制服もちゃんと着ないで、空気も読まないで、自分の好きなことだけやってるのに集団からあぶれることがないどころか、一目置かれている。この場において、呉は「環境トップ」の「強キャラ」ってわけだ。その差はそう易々と覆せるものじゃない。

 放課後、高橋は一目散に教室を出る。午後のあいだずっとおなかが痛かった。学校から出て数分歩いたところにあるスーパーのトイレに寄っていこうと思う。閑散とした小さな店内の奥にある、化粧室へ向かう。
用を足しがてらスマホを開き、SNSを眺める。高橋は異なる性質のアカウントをふたつ所持している。格ゲープレイヤーとしてのアカウントと、十代のトランス女性としてのアカウント。どっちもとくにめぼしいものは無し。個室から出た。
「おっ」
 ちょうど入ってきた同じ学校の生徒と目が合う。レジ袋をぶらさげた呉だ。彼女は個室に入ることはなく、鏡を見つめて髪をいじっている。
「高橋じゃん。おつかれ」
 ああ、うん……。歯切れ悪く返事をする。そのまま急いで帰りたかったけど、そこに立ち止まる。昼のことについて、いちおうお礼は言っておいたほうが感じが良いだろう。
「あのさ、昼のとき……」
 なかなか呂律が回らない。呉は高橋がありがとう、と発するより先に勝手に合点がいく。
「あああれね。面白かった?」
 手品を褒めてるんじゃなくてね、とのニュアンスを込めた苦笑を浮かべるのが精一杯だった。自分と呉じゃ、見ている世界が違いすぎると思う。異なる言語の話者どうしみたいなもので、円滑にコミュニケーションなんてとれるものか。
「まぁ私だったら、そんな不潔なものを口に入れることはできないって直接言ってゴミ箱に捨ててやるけどね」
 呉はあっけらかんと言う。高橋は釈然としなかった。そりゃあ、あなたにとっては造作もないことでしょうね。反論したいが、言葉がままならない。
 高橋の様子などお構いなしに、呉は調子づいた口調で続ける。
「あんま気にしなくていいよ。そう、あんたみたいな人間のために、手品っていうものはある」
「え?」
 高橋は無意識に声を漏らす。決め台詞みたいな口調で言うが、その知った風な言い回しに、思わず頭に血が上った。
「あんたみたいって……どういうこと」
「そりゃあ」
 呉が半笑いで言いかけた。格ゲーではあらゆる行動後には必ずかすかな隙が生じるようになっている。不用意な動きをした相手の隙を見逃さない意識が勝利に直結する。
 これは隙であり、かないもしなかった強敵に一撃を喰らわせるチャンス。高橋はかすかな怒りの感情をたぎらせたまま、すばやく言う。
「だいたい、あの手品? 全然すごいと思わない。視線を誘導して、隙をついて隠しただけじゃん。そんなの目で見てわかる」
 目視できるほどのスピードなら、たいしたことはない。
「なっ……。マジで言ってる? 見てわかるって⁉」
 呉の啞然とした表情を見て、高橋は我に返る。あ、ごめん。そんなこと言うつもりじゃなかった。
 呉は手元に持っていたポーチからいきなりトランプの束を取り出した。……常に持ち歩いてるの? その、身だしなみの道具といっしょに、トランプを? 彼女はハートのエースを手に取り、反対の手で指を鳴らす。パチン、カードが一瞬のうちにジョーカーに変わる。
「これは⁉ 説明できるって?」
 使う道具が違うだけで、手法はさっきと同じだ。ハートのエースに注目させておき、束とは別に仕込んであるジョーカーを指で弾いて出した。控えめに、そう伝える。
「……マジ? まさか、あんたもやってる? マジック……」
 まさか……。明白にかぶりを振る。
「エグい観察眼だ」
 心底感心したように呉は呟く。
 相手の目線の動きや思考を読みつつ、ゼロコンマ単位の精度で手先を動かす。ハッタリもテクニックのひとつ。高橋はふと、似てるかもしれない、と思う。格ゲーとマジック……。
「なんも知らない身内にばっか見せてイキってた自分が恥ずかしい……」
 呉はうつむいてなにかぶつぶつ言いはじめた。
「……わかった。あのさ!」
 そして。突然大きな声を出す。高橋はびくっと肩を震わせた。
「高橋、部活とかやってないし、どーせ毎日暇っしょ。私の助手になってよ」
「はぁ?」
「練習相手になってほしいってこと。あんたに見破れないようなテクニックがあれば、きっとプロにだってなれる」
「手品にプロアマとかあるんだ」
「なんだってそうだろ?」
 たしかに。格ゲーにもプロのプレイヤーはいる。
「そんな本気でやってるんだ。すごいね」
 あ、皮肉っぽく聞こえた? そっと呉の顔を見る。もちろん、と彼女は明瞭に答えた。杞憂だったようだ。
「私はこういう『手遊び』しかできないから。だから、それで金儲けするって決めてる」
 使い終わったトランプをいじりながら、呉はにやりと笑う。
『手遊び』ねぇ……。なんだ、一緒じゃん。私も『手遊び』が大好きで、世界一にまでなったのに。やることと、表面的な立場が別だっただけで、違いはそんなになかったみたいだ。
「どうかな? よければ一緒に、金儲けをしよう」

 ある意味において、コンバット・アリーナは現実の縮図だった。この世界は基本バグっていて、それはなかなか修正されない。バグを利用して得するやつもいる。意図的に強く設定されたキャラクターがいて、それ以外が勝つにはとてつもない努力と知識と運が要る。でも不可能ってわけじゃない。最悪な環境でもゲームとして成り立っている以上、たまーに番狂わせがある。だから、戦う価値がある。
「金儲けって……。そんなに稼げるの?」
「ああ。医者や政治家なんかより稼げる。マジシャンはみんな億万長者だよ。で、どうする?」
 そんなわけないじゃん。高橋は思わず笑みをこぼす。
「じゃー。そっちがいいなら。やってみようかな……」
「マジ? 助かるよ。人体切断とか串刺しとかしよう!」
 しょせん人生は出来の悪いゲームだ。とりあえず今は、好きに遊べばいっか。負けたら負けたで別によくて、細かいことは次のラウンドで考える。

 ブリング・イット・オン。かかってこい内心で呟いてみる。

Profile

波木 銅

1999年、茨城県生まれ。大学在学中の2021年、本作『万事快調〈オール・グリーンズ〉』で第28回松本清張賞を受賞し、デビュー。弱冠21歳での受賞は、清張賞史上2番目の若さ。

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