TOMONI
GO TO 2100 ともに生きる江戸川区

リトル・インディアの祝祭

中山 七里Nakayama Shichiri

 江戸川区西葛西はインド人が多く居住する地域で、インド料理店や雑貨店の集中している界隈はリトル・インディアと呼ばれている。ただし街中の一部がインドの雰囲気を漂わせている程度で、一画が異国そのものという訳ではない。
 それでも莉奈はリトル・インディアが好きだった。住人に屈託がなく、何よりルドラと出逢った場所だからだ。
「莉奈は本当にインド料理が好きなのか」
 駅北口にある〈スワガット インディアン バザール〉でスパイス類を物色していると、後ろからルドラが気遣わしげな声を掛けてきた。
「うん、好きだよ。どうして今更そんなことを訊くの」
「ひょっとして無理をしているんじゃないかと思って」
 付き合い始めてからそろそろ二年になるというのに、ルドラはおずおずと確かめてくる。意志の強そうな面立ちをしているのに、莉奈の前ではまるで借りてきた猫のようだ。
「全然、無理なんかしてない」
 ルドラにはそう強がったものの、ここ数カ月インド料理で悪戦苦闘しているのは紛れもない事実だった。向こうの家族に気に入られるには、まず料理から。我ながら姑息だと思ったが、少しでも己の好感度を上げるために必死で取り組んでいる。こういう涙ぐましい行いを評価してほしいと思う。
「僕は努力する人を尊敬する」
 ルドラは真摯な目でこちらを見つめた。
「母さんも、そういう人を尊敬する。僕は必ず母さんを説得してみせる」
 だが一時間後、ルドラの決意も空しく、母親のダーシャは決して首を縦に振ろうとしなかった。
「二人の結婚は絶対に認めません。お父さんがここにいても、きっと同じ答えだった」
「母さん、いったい莉奈のどこが気に入らないんだ。彼女はインドの文化を好きでいてくれる。何より僕を好きでいてくれる。その二つだけで妻になるには充分過ぎるくらいだ」
「莉奈さんが素晴らしい女性であるのはわたしにも分かります。でも、残念だけどあなたの妻には相応しくない。彼女はヒンズー教徒でもない」
「わたし、今日からでもヒンズー教徒になります」
 莉奈は前のめりになって告げる。元々無宗教の家に生まれ育ったので、宗教への拘りはない。
「宗教以前に、あなたは日本人です」
 ダーシャはにべもなかった。
「わたしたちの文化に詳しいのなら知っているでしょう。敬虔なヒンズー教徒は同じ民族としか契りを結びません。ルドラの配偶者はインド人のヒンズー教徒でなければなりません。その戒律を破るのなら、ルドラはわたしとの縁を切らなければなりません」
 ルドラと莉奈は力なく肩を落とした。ダーシャは未だにカーストを重んじるような女だった。
「信じられないっ。何であんたが寝過ごすのよ」
 東京メトロ東西線南砂町駅を過ぎたところで眞澄は卓也に食ってかかった。
「しょーがねーだろ。昨夜も夜なべでコスの衣装作って碌に寝てねえんだ。眞澄だって寝穢く寝てたじゃねえか」
「こーゆーのは男子が寝ずに姫を護るものなのっ」
 九段下で乗り換えて渋谷に向かうはずが、そのまま寝過ごしてしまった。卓也を責めても仕方がない。そもそも彼の手先の器用さを見込んで、ハロウィン用の衣装を作るように無理強いしたのは自分だ。
「どーすんのよ。渋谷デビューするために頑張ったのにい」
「頑張ったのは俺だけじゃないか。心配すんな。どうせ渋谷に人が集まるのは夕方からだ。まだ昼の三時だぞ。都内で名所巡りしてからでも充分間に合う」
「名所巡りって、田舎臭いこと言わんで」
「田舎から来たのは、その通りじゃん」
 卓也は何を今更という口調だった。正直、卓也には感謝している。幼馴染みというだけでコスプレに付き合ってもらい、衣装まで作ってくれた。裁縫男子につけ込んだ感もあり、更には陰キャから脱却したいという自分の願いにも応えてくれた。眞澄としてはもう少し関係を進めたいところだが、なかなか次の一歩が踏み出せずにいる。
「次の西葛西で降りるべ」
「卓ボン。あたし、お腹空いた」
「待ってろ、検索すっから。へえ、西葛西はインド料理のメッカだってよ」
「あ、本場のカレー食べたい」
「それに、今日は年に一度のお祭りらしい」
 卓也はこちらに視線を移した。
「ちょうどいいかもな。西葛西のお祭りでコスを初披露したらどうだ」
「どうして、渋谷でもないのに」
「度胸試し。眞澄、本番になるとビビリまくって右手と右足が同時に出るじゃん。渋谷でそうならないように、西葛西のお祭りで慣れるってのは悪い考えじゃない」
 卓也の提案はもっともに思える。眞澄が選んだコスは人気アニメ『凶悪女神転生譚Ⅲ』に登場するラーマというキャラクターだ。半人半獣、人間を堕落に誘う悪の第三級神。ご丁寧にも卓也は、原作通りラーマの背後に煌々と輝くオーラまでLEDライトで再現してみせた。眞澄も、このギミックでギャラリーからどんな反応が返ってくるのか興味津々だった。
「確かに悪い考えじゃないよね」
「どうせ知った人間は一人もいないしな」
 卓也のひと言が背中を押した。旅の恥は搔き捨てと言うではないか。
 ディワリはヒンズー教最大の祭典の一つで、闇に打ち勝つ光を祝い、インド暦の新年に当たる十〜十一月の五日間に亘って行われる。ここリトル・インディアでも本日十月三十一日がその最高潮を迎える。
 公園に設けられた会場にはインド料理の屋台の他、サリー布やバングルといった雑貨の店がひしめいている。中央のステージではインド舞踊やインド音楽の演奏が繰り広げられ、弥が上にも祭りムードを盛り上げる。
 だが一緒に会場を歩いていてもダーシャの態度は頑なだった。莉奈とルドラが懸命に結婚の許可を願っても、取り付く島もない。
「何度も言わせないで。同じインド人、同じクシャトリヤ(王族・武人階級)の出でなければ家系が崩壊します」
 一緒に祭りを楽しんでいれば気持ちも解れるだろう。ルドラの提案でダーシャを誘ってみたものの、その思惑は外れてばかりだ。
「大体、どうしてディワリに日本人が混じっているの。ステージでは日本の踊りまで披露されているし」
「それは母さん、インドと日本の交流を図るというのが商店街の掲げたスローガンだから」
「交流しようとする努力は立派だと思うわ。でも、所詮は流れている血も文化も違う。わたしたちと日本人は表面的にしか付き合えない」
「どうして決めつけるんだよ」
「崇めている神様が違う。それだけでも決定的な違いよ」
 ルドラの隣で、莉奈は伸し掛かる絶望と闘い続けている。いざとなればダーシャの反対を無視して入籍する手もあるが、それは莉奈の本意ではない。民族を超えた結婚だからこそ、両家に祝福されたい。
 会場の中をサリー姿の女性たちが練り歩き、ガムランのリズムが観客たちの心を沸き立たせる。いよいよ祭りは佳境に入ってきた。
「母さんの考えは古いよ」
「古いのは長年信じられてきたからなのよ。今までも、そしてこれからも。わたしたちと日本人は仲良くなれても永遠に分かり合えない。分かり合えない者同士が結婚しても破局を待つだけ」
「どうしたら認めてくれるんだ」
「奇跡でも起きない限り無理よ」
 ダーシャの言葉は錐のように莉奈の胸を刺す。奇跡だって。そんなものが世の中にあるはずがない。ダーシャは不可能を条件にするほど、二人の結婚に反対なのだ。
 重い絶望が莉奈を押し潰しにかかる。
 その時だった。
 三人の目の前を眩い光が通り過ぎた。
 見れば、蓮華の衣を纏った四本腕の女性が正面に降臨していた。信じ難いことに、彼女の後方からは光さえ射していた。
 莉奈は驚いたが、ダーシャの反応はそれ以上だった。
「ラクシュミー様……」
 うわ言のように呟き、合掌したまま呆然として立ち尽くす。
 ラクシュミーと呼ばれた女性は目の前を横切るサリー姿の一団に遮られ、莉奈が我に返った時には影も形もなかった。ほんの一瞬の出来事だったのだ。
「ルドラ、今のを見ましたか」
「見たよ」
「あれはまさしくラクシュミー様だった。まさか、本当に奇跡が起きるなんて」
 突然ダーシャは両手で顔を覆い、その場に屈み込んだ。
「認めます。ラクシュミー様がわたしたちの前に現れたのは、きっとそういう意味に違いありません。二人の結婚を祝福します」
 ようやく辿り着いた渋谷駅前の交差点で、卓也はスマートフォンを弄っていた。
「へえ、新事実」
「何がよ」
「『凶悪女神転生譚』の公式見てたんだけどさ、ラーマのモチーフはラクシュミーというヒンズー教の女神なんだと。ほら、四本腕と蓮華の衣装もそのまんま。美と富と豊穣と幸運を司る神」
「ちっとも凶悪じゃないじゃん」
「だから、あのインド人のおばあちゃん、手を合わせてたのかね」
「女神でも邪神でも目立ったもんの勝ちい」
 眞澄は言い放つと、コスプレの群衆の中に身を躍らせていった。

Profile

中山 七里

1961(昭和36)年、岐阜県生れ。『さよならドビュッシー』で『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し2010(平成22)年にデビュー。音楽を題材とした「岬洋介」シリーズほか、「御子柴礼司」シリーズ、「刑事犬養隼人」シリーズなど、著書多数。

TOMONIでは区民の皆さまの
ご意見、ご提案を募集しております

江戸川区は、「ともに生きるまち」を目指し、今後さまざまな取り組みを行ってまいります。

このウェブサイトでは、区民の皆さまはじめ江戸川区に関心をお寄せいただいている皆さまから広くご意見、ご提案を募集しております。
いただきましたご意見、ご提案については、今後の議題や活動の参考とさせていただきます。
※ご意見、ご提案等については、個別回答はできかねますのでご了承ください。