――あなたに、大事な話があるのです。
わたしは、さっきからそれを切り出せずにいる。こうやって一緒に公園を歩いているのも、あなたはいつもと同じ、休日の散歩だと思っているだろう。
けれどわたしは本当は、いつ、どうやって、どんなふうに伝えようか、そればかり考えている。あなたのほうから、何か様子がおかしいことを察してくれてもよさそうなのに、などと少々自分勝手なことも考える。が、あなたは、悪い人ではないけれど、鈍感だ。だから気付かない。
「2100年って言われても」
しかも、あなたは突然、そんなことを言い出す。あなたが素っ頓狂なことを言い出すのは慣れっこだが、今それを発揮しなくてもよいだろうと、少し、腹が立つ。
「ぴんと来ないなあ」
などとひとりで納得しているあなたは、わたしよりもずっと背が高い。頭の位置は、三十センチ以上、上にある。だから、見るというよりも、見上げる。角度としては、今歩いている公園の、葉を散らした街路樹を眺めるものと同じ。一緒にいると、首が痛くなることもある。体調の悪いときなど、「夫選びを間違えたか」と思うこともある。
「何の話?」
「さっき駅にポスターが貼ってあったでしょう」
あなたはわたしを見る。見るというか、見下ろす。そうやって高いところから降ってくるあなたの視線を受け止めるたびに、頭に「見下ろす」と「見下す」というふたつの言葉がよぎる。「見上げる」にも「見下す」のような、別の言葉があるのだろうか、と考えてみるけれど、しっくりくる言葉が思いつかず、そのたびに少し、残念な気がする。もちろん、そんなことをあなたに伝えたことはない。
「ポスターって?」
「自治体のポスター。『2100年の私たちの暮らし。未来をよりよいものにするために、今の私たちができること』みたいなやつ」
「あったっけ?」
わたしはついさっきまで歩いていた駅のコンコースの景色を思い出してみる。その中にポスターを探す。見つからない。そもそも、自治体のポスターなんて、そんなにしっかり見ていない。
「あったんだよ」
あなたは、断言する。
「それで、2100年かあ、と思って。そんな先のことなんて、考えられないよね。十年先のことでも、よく分からないのに」
そこであなたは、ちょっとため息をつく。わたしには、あなたがまた転職のことを考えてるのだな、ということが分かる。あなたが新卒で入社して、今も働いているのは、有名で、大きな旅行会社だ。入社当時は「大学生が入社したい企業ランキング」なんかでトップテンに入る人気企業だった。内定が決まったとき、まだ妻ではなく、恋人ですらなく、ただの同級生だったわたしに、あなたは自慢した。
「旅行とか観光っていうのは、人間の生活に不可欠なんだ。絶対になくならない。だから安定してる。もちろんやりがいだってある」
「確かに」
そのときのわたしは同意した。名前を知る人も少ない中小企業になんとか滑り込んだわたしにとって、正直、悔しかったし、羨ましかった。
それから八年が経って、自分たちが夫婦になっているのも驚きだが、まさかほぼ丸三年にわたって、旅行や観光がなくなってしまう時代が来るとは。当時のあなたも、わたしも、誰も想像しなかった。しかし、実際にそういう時代が来て、あなたの会社からは人がどんどんいなくなり、給料もびっくりするぐらいに、下がった。
「2100年だから、今から、ええと……」
あなたは考え込む。そして「百引く二十三で」と呟いて、しばらくしてから「七十七年先か」と口にする。
「たぶん、死んでるだろうしなあ」
あなたは言う。特に不吉なことを言った、という感じでもなく、「来週から冷え込むらしいよ」ぐらいの感じで、言う。
「まあそうだろうけど」
百七歳か、と考えながらわたしは答える。
「でも、生きてるかも。人生百年時代だし」
あなたは、ため息をつく。
「ちょっと勘弁して欲しいよね。年金だってもらえるかどうか分からないし、それで生活に困窮するかもしれないし、長生きしたっていいことないだろうから、ほどほどで死にたい」
「ほどほどって、いくつぐらい?」
「わかんないけど」
あなたは少し深刻な顔になる。
「ばあちゃんのこともあったし」
あなたのおばあちゃんは、二年前に死んだ。九十九歳だった。わたしも会ったことがある。初めてあなたの家に行ったとき、挨拶をした。はじめまして、というわたしに、おばあちゃんは介護ベッドに寝そべったまま、もごもごと口を動かした。あなたのお母さんは「まあ、おばあちゃんも喜んでるわ。会えてよかった、うれしいねえって」と言っていたけれど、それが本当かどうかは分からない。そのときにはもう、おばあちゃんの認知症はずいぶん悪化していたらしい。自分がどこにいるのか、何をしてるのか、目の前にいるのは誰なのか、それが分かっているかどうかも分からなかった。別れ際に握った手は、しわしわで、湿り気を帯びて、骨がないように柔らかく、ふにゃふにゃしていた。
最後まで、住み慣れた家で、家族と一緒に過ごさせてあげたいと、あなたのお母さんとお父さんは一生懸命、おばあちゃんを介護した。もう若くない二人ができることには限界があった。それでも、自分たちでご飯を食べさせ、歯を磨いてあげて、オムツを取り替え、お風呂に入れた。毎日毎日、それを繰り返した。
ある日、少し熱があるということで病院に行ったおばあちゃんは、そのまま入院して、一ヶ月の後、この世を去った。ちょうど感染症の第何波かと重なって、お見舞いに行くことも、死に目に会うことも、死に顔を見ることすらできなかった。おばあちゃんは、九十九年生きて、ひとりで旅立った。お葬式のとき、骨壺を渡されたあなたのお母さんは、「こんなんじゃ、なんのために長生きしたのかわかんないわよ」と泣いていた。
「だから、ほどほどで」
あなたは言う。
「たとえば、七十五歳ぐらいかな。たぶん、その頃には七十まで働かないといけなくなるだろうし、年金もまだもらえないかもしれないけど、定年してから五年ぐらいなら、なんとかなりそうだし、そのぐらいの年齢でぽっくりと」
「そんなに上手く行けば、いいけど」
「だめかな」
あなたは呑気で、楽観的だ。そういうところがいい、と思うこともあれば、そういうところがむかつく、と思うときもある。
「でも真面目な話」
とあなたは言う。
「あまり長生きしたいとは思わないよ」
「どうして?」
「だって、今より、色んなことが絶対に悪くなってるもの。地球温暖化もひどくなってて、夏なんか毎日四十度超えだろうし、色んな動物も植物も絶滅するだろうし、氷河も溶けて住める場所も少なくなるし、子供も少なくなってるし、給料も上がらないし、贅沢なんてできないし、これから何回も戦争だって、災害だって、疫病だって、原発事故だって、あるだろうし」
あなたは滔々と暗い展望を述べる。あなたは、呑気で、楽観的なのに、ときどきものすごく悲観的になる。
「いい面にも、目を向けよう」
わたしはわざと逆らって、言う。
「いい面って、たとえば」
「えーと」
と、言ったものの何も思い浮かばない。
「月に旅行に行けるようになるとか」
「……行きたいの?」
「たとえば、だよ」
わたしも、あなたも、高いところも狭いところも苦手だ。いくら科学技術が進歩しても、高いところや狭いところが平気になる薬は開発されないだろう。されたって、飲みたくもない。苦手というのはそういうことだ。
「七十七年前の人は、どうだったんだろうね」
結局、なにもいいことを思いつけず、わたしは話を変える。
「七十七年前の人?」
「そう。2100年って、今から七十七年後でしょ? だったら、今から七十七年前の人はどうだったのかと思って。2023年、おお未来だ、とか言ってたのかな」
あなたはまた、考え込む。そして
「2023から七十七を引くと」と呟く。さっきより少し時間がかかってから、ようやく「1946年か」と口にして、それから、あらら、と妙な声を出す。
「意外と身近だ。ばあちゃんも、普通に生まれてたし。っていうか、二十四歳? 今のぼくたちと、割と年近い」
「戦争が終わった次の年?」
「だね。きっとまだ世の中ぐちゃぐちゃで、家族が死んだとか、家がなくなったって人も多かったのかも」
それからわたしとあなたは、少し黙る。黙って、想像してみる。七十七年前を生きていた人たち、家族を失ったり、空襲で焼け出された人たちのことを。
「これからは明るい時代になる!」
あなたが急に大きな声を出して、わたしはちょっと、びっくりする。
「って、思ってた人はあんまりいなかったかも」
また、普通の声に戻ってあなたは言う。
「きっとまた同じように戦争が起きるんだろうなあ、それも何度も起きるんだろうなあ、それでも頑張って生きないとなあ、ぐらいの感じかな」
「そうだよねえ。本当に大変なときって、この先にいいことがあるんだとは、あんまり思えないよね」
だけどさ、とわたしは言葉を繫ぐ。
「悪いこともきっと起きるだろうけど、いい時代で、平和であって欲しいと思うよ」
あなたはそれを聞いて、ちょっと肩をすくめる。
「そりゃ、ぼくだってそう思うけど」
わたしはあなたの言葉を無視して、言う。
「この子のためにも」
言えた。
「え?」
あなたはわたしを見る。まずわたしの顔を見て、それからお腹を見て、また顔に戻ってくる。
「今なんて?」
「だから、悪いことも起きるけど、いい時代で」
「いや、その先。誰のためって?」
「この子のためにも、って」
あなたは一度口を開きかけて、閉じる。もう一度、また開こうとして、閉じる。
「この子……、子供? 赤ちゃん?」
ようやく、あなたの口から、意味のある言葉がこぼれる。そしてわたしには分かる。あなたが驚いていることが。そして喜んでいることが。
「わあ」
あなたは大きく息を吐く。
「すごい。ありがとう。いや、それは変か? おめでとう? それも変か?」
そう言いながら、あなたはわたしを見下ろす。
あなたの顔が降りてくる。わたしの顔のある場所を通り過ぎる。地面に膝をつくと、あなたの顔はちょうどわたしのお腹の高さと同じになる。そしてあなたはわたしを見上げる。仰ぎ見る。
「聞こえるかな。さすがにまだか。男の子? 女の子? それもまだか。どっちにしても、待ってるから」
そんな声を聞きながら、久しぶりに、あなたの頭のてっぺんの、つむじを見る。数年前と比べても、薄くなってきたような気がする。ほんのちょっとだけだけど、白髪も生えている。
「この子は、2100年には七十七、いや、来年生まれたら七十六歳? どっちでもいいけど、それぐらいなら、生きてるよね。いや、元気で長生きしてもらわないと困る。たぶん、大丈夫だよね」
あなたはひとり、納得する。
「いや、その前に、ぼくたちが元気で、長生きしないと。ほら、子供育てるのはお金が必要だし、この子が結婚するところも見たいし、孫の顔も見たいし、孫にはランドセルも買ってあげないとだし、なによりもできる限り長く、一緒にいたい」
「気が早すぎるし、さっきと言ってることが違う」
わたしは笑う。
「どんな子だろうね?」
わたしの言葉が聞こえていないように、あなたはそわそわする。
「何が好きかな。顔は、どっちに似てるかな。大丈夫、ぼくも育児休暇、取るから。そうだ、引っ越したほうがいいかな。もう少し広い家に」
「だから、気が早すぎるって」
さっきまで、温暖化だとか少子化だとか、戦争とか災害とか疫病とかの心配してたのに、と思ったが、黙っておいた。
あなたは、鈍感で、呑気で、ときどきものすごく悲観的で、そしてときどきものすごく楽観的だ。
そういうところが、とてもいいと、わたしは思う。
兵庫県生まれ。出版社勤務などを経て、フリーライターに。
2011年『ゴールデンラッキーピートルの伝説』で恩田陸氏選考の第7回新潮エンターテインメント大賞を受賞し、デビュー。
江戸川区は、「ともに生きるまち」を目指し、今後さまざまな取り組みを行ってまいります。
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