TOMONI
GO TO 2100 ともに生きる江戸川区

宇宙からの留学生

京橋 史織Kyobashi Shiori

 転校の初日って不安だよな。でも、このライトがあるから大丈夫だよ。 
 ライトがどう関係あるのかって? それは、ある出会いから話さないといけないな。

 あれは忘れもしない、小学五年生の夏だった。僕は夏休みに、徳島の祖父の家に行きたいとせがんだんだ。祖母が病死し、一人暮らしをしていた祖父にとっても、仕事を抱えている両親にとっても、僕の申し出はとても喜ばしかったようだ。両親は直ぐに飛行機を手配して、僕を祖父の元へ連れて行くと、「蒼悟をよろしく」と祖父に託し、とんぼ返りで東京へ戻っていった。
祖父の家は、ウミガメが産卵のために上陸することで有名な大浜海岸の近くにあった。窓をあけると、静寂な夜空に波の音が漂い、潮の香りを含んだ生温い風が流れ込んでくる。
 祖父は毎朝三時に僕を起こすと、ウミガメの産卵を見に行こうと、暁の散歩に僕を連れだした。行き先は、ウミガメ保護のために監視員がいる大浜海岸ではなく、一キロほど南に歩いた名もなき小さな浜辺だった。岩場の合間にあるこの小さな砂浜に、ウミガメがやってきて産卵するのを、祖父は今まで何度か目撃したのだという。
 上陸したウミガメは、涙があふれたように目を潤ませながら、砂浜に卵を産み落とすらしい。実際は涙ではなく塩水だとわかっているのに、その姿が胸をうつんだと、祖父は望遠カメラで撮ったウミガメの写真を僕に見せた。
「この場所は絶対に内緒だぞ」
 祖父は、そう何度も僕に釘をさした。人に話して、この砂浜まで監視対象になるのを避けたかったんだ。祖父にとって、そこは秘密の砂浜だった。

 砂浜に通い始めて何日目だっただろうか。
 人工灯のない漆黒の砂浜で、驚くほど煌びやかな月光を浴びながらウミガメを待っていたら、突然、夜空が裂けたように閃光が走った。思わず目を細めるほどの強烈な光線はそのまま弧を描き、僕らのいる砂浜へ、どすんと音をたてて落ちてきた。
 僕は呆然と、砂浜に横たわる落下物を見つめていた。見たことも聞いたこともない事態に遭遇すると、訳がわからなくて、なんの反応もできないものなんだ。
「まさか、隕石じゃないのか」
 宇宙の本を読むのが大好きな祖父は、自分の知識と照らし合わせて、興奮したように口走った。
 だが違った。その落下物はゆっくりと起き上がり、こちらの方へ顔をむけた。丸くて大きな球体のような頭部に、針金のように細い手足をもつそいつは、カメの甲羅のように頑強そうな防具を身にまとっていた。タンザナイトのように澄んだ紺青の瞳が、僕らを捉えた。
「う、宇宙人かもしれないぞ」
 祖父の声もさすがに上擦っていた。たしかにそいつは、以前テレビで見た宇宙人とよく似ていた。目があうと、そいつは慌てたように筒形の器具を取り出して、僕らの方に照準をさだめた。ピストルか、小型のバズーカ砲か。
 やられる。僕は祖父の腕にしがみついた。首がすくみ、全身が一気に縮みあがった。
 自分の鼓動がはっきりと聞こえるほど、辺りは静寂につつまれていた。ドクン、ドクンと、脈の音が時を刻む。だがいつまで経っても、その筒形のものから音や煙があがることはなく、なにか飛んでくることもなかった。
「大丈夫だ」という祖父の声で、僕はそっと顔をあげた。
「大丈夫だよ。怖がることはない」
 祖父は僕にではなく、その異星人に優しく話しかけていた。僕と同じくらいの背丈のそいつは、明らかに身体をふるわせ、目を潤ませていた。上陸したウミガメと同じように。
「俺たちは敵じゃない。さあ、こっちにおいで」
 祖父は何度もそう呼びかけて、異星人に手を差しのべた。祖父にうながされ、僕も恐る恐る手をのばした。しばらく僕らの様子をうかがった後、そいつは筒形のものを防具の懐にしまうと、ゆっくりと歩み寄ってきた。
 そっと握ってきたそいつの手は、思いのほか、温かかった。僕らは手をつないで、天から降りそそぐ月明かりを道標に、祖父の家に帰った。こうして、祖父と僕、そして異星人との生活がはじまったんだ。

「名前は、なんていうの?」
 僕はそいつに尋ねたけど、もちろん言葉は通じない。美船と命名したのは祖父だった。
「一瞬で俺らには見えなかったけど、きっと美しい宇宙船に乗って来たんだよ」
 それが名付けの理由だった。
 最初の二日間、美船はだるそうに、布団で寝てばかりいた。
「人間だって宇宙に行けば、無重力空間で身体が混乱し、宇宙酔いを起こす。美船は逆に、はじめて体験する重力の負荷がつらいんだろう。そのうち慣れるよ。大丈夫だ」  祖父は穏やかに美船に話しかけ、そっと見守っていた。
 祖父の言う通り、三日目になると慣れてきたようで、美船は起き上がって、僕らと一緒に行動するようになった。驚いたのは、頭部がみるみるうちに小さくなり、手足が適度に太くなって、人間と同じような体型に変わったことだ。背丈も数センチ縮まり、僕と同じくらいだった目線が少し低くなった。
 体型が変わったのも、おそらく重力の影響だろうなと、祖父は言った。
 無重力空間では、体内の体液や臓器が上部にあがるから、顔は丸くなり、脚は鳥のように細くなる。宇宙飛行士なら誰しもが経験していて、地球に帰ると数日でもとに戻るんだ。美船も宇宙体型から、地球体型になったんじゃないか、と。
 たしかに美船は、日々少しずつ人間に似てきた。最初は跳ねるように歩いていたのに、地を踏みしめて歩くようになったし、丸めがちだった背中も、天地に引っ張られたように真っ直ぐになった。美船を見ていると、空気や重力といった目に見えない地球の環境の影響を、意識せずにはいられなくなる。
 美船が一緒に外出したがるようになったので、僕らは美船の服を買うことにした。さすがに、美船の装いは目立ちすぎる。
 とはいえ、ショッピングモールに行ってみたものの、適した服が僕らにはさっぱりわからない。地球体型になった美船は、その線の細さや仕草から女性のように感じていたけれど、実際には確認のしようがなかった。しかたなく、できるだけ明るい色で動きやすそうな服を数着買うことにした。美船がそれを気に入ってくれたかどうか定かではないけれど、服を着て帽子をかぶり、マスクをしていれば、美船は十分人間に見えた。
 こうして三人の生活は順調に馴染んでいったけれど、唯一の問題は食事だった。美船はいつも懐から錠剤のようなものを取り出して口に入れた。それで十分なようだった。とはいえ、常備食もいつかは尽きるだろう。その時に備えて僕らの食事の食べ方を教え、美味しさをアピールしたけど、美船はいつも興味深そうに見ているだけで、ほとんど口にしようとしなかった。

 夏休みも終盤にさしかかったある日、週末に迎えに行くと電話してきた両親に、僕は「迎えにこなくていい。もっとこっちにいたい」と強く反発していた。
「学校に行きたくないのか?」
 電話を切った僕に、祖父が心配そうに聞いてきた。
「こっちの方が楽しいから。それに、僕が戻ったら、美船と二人になるじいちゃんだって困るよね?」
「それはそうだけど。学校に行かないのはなあ」
 祖父は視線を宙にさ迷わせて、黙り込んだ。
 僕と祖父は、常にどちらかが美船の側にいるようにしていた。美船には、危険なものがわからないからだ。包丁の刃の部分を無邪気に摑もうとしたり、興味深そうにコンロの火に顔を近づけたり。沸騰している湯に、手を入れようとしたこともあった。その都度、僕は「わあっ」と声をあげ、美船の手や身体をあわてて摑んだ。これは危ないんだと、手足を動かし必死で訴える。わかっているのかいないのか、曖昧な美船の表情を見ていると、幾度となくもどかしさがこみあげた。とはいえ、投げ出すわけにはいかない。
 もし美船を病院へ運び込まなければいけない事態が起こり、存在が公になれば、美船は研究対象として、しかるべき専門機関に連れていかれるだろう。その方が、美船の素性がわかり、もっと快適な環境が用意されるのかもしれない。だけど、美船の意向を確認できるまでは僕らの秘密にしておこうと、祖父と僕はかたく誓いあっていた。
僕は絵で説明したり、演じてみせたりしながら、
「だから、これは危ないんだ」
 と、何度も懸命に訴え続けた。
 そんな時、美船はだんだんと目を細め、最後にはいつも僕の肩に額を押しつけた。
 わかった。ありがとう。
 美船がそう言っている気がして、荒らげていた声がすっと引っ込んだ。波立っていた心がゆっくりと凪いできて、美船と通じ合えた気がしたんだ。
 考え込んだまま祖父が風呂に入ったから、僕はいつも通り、押し入れから三人分の布団を引っ張り出し、川の字に並べて敷いた。ふいに潮風を頰に感じて窓の方へ目をやると、美船が窓をあけ、空を見上げていた。
「何を見てるの?」
 尋ねようとした声が詰まるほど、美船は寂しそうな顔をしていた。はるか遠くの故郷が恋しくてしかたがないというような。
 まばゆいほどの月光に照らされたその横顔に、僕の心はずきりと痛んだんだ。
「帰りたいの?」
 僕の声など耳に入らない様子で、美船は空を見続けている。
「気持ちわかるよ。僕も親の仕事の都合で、七月に東京の学校に転校したばかりでさ。なかなか馴染めなくて、ああ、友達のいる前の学校に戻りたいって、毎晩空ばかり見上げてたから」
 だけど美船と一緒にいるようになって、僕は空を見上げるのをすっかり忘れていた。僕は美船といるのがこんなに楽しいのに、美船の方はそうじゃないのか。痛いほどの寂しさが、僕の全身を貫いた。
「美船はすごいよな。一人で地球に来たって、あっという間に、僕らと仲良くできるんだから」
 僕はいつの間にか、美船を好きになっていたんだ。言葉が通じないのをいいことに、皮肉をぶつけずにはいられないほどに。
「その要領の良さがうらやましいよ。僕もそれを真似できたら、友達の一人や二人、作れるんだろうな」
 美船が僕の方へ顔をむけ、じっと見つめてきた。
「なんだよ。文句があるなら、言い返してくれよ」
 美船は懐から筒形のものを取り出すと、僕の方へ差し出した。美船が砂浜に落ちてきた時、僕らの方に照準をあわせ、握りしめていたものだ。
「これは?」
 あの時はピストルのような小型の銃器かと思ったけど、近くで見ると、懐中電灯のようだ。だが光は発していない。
 美船はその筒形のライトを、僕と美船に交互に向けたのちに僕と握手する行為を、何度も繰り返した。
 美船が言いたいことは、もしかして——。
「つまりこれは、お互いを照らすと仲良くなるライトだと言いたいのか?」
 美船は黙ったまま、目を瞬いた。
「違うよ。そんなわけないだろ」
 僕は声を張り上げていた。
「じいちゃんと僕は、美船と仲良くなろうと思って、あの砂浜で歩み寄ったんだ」
 冗談じゃない。このライトから、僕ら人間には見えない光線がでていて心理操作されてるなんて。絶対にそんなんじゃない。
「まさか美船は、このライトのおかげだと、本気で思ってるのか?」
 だったらどうして、こんなに胸が熱く、苦しくなるというのか。
「僕が東京に戻りたくないのは、美船と一緒にいたいからだ。じいちゃんだって、美船を大事に思ってるから、こうしてかくまっているんじゃないか」
 胸のうちに湧きあがる美船への想いを、僕はまくしたてるように美船にぶつけた。
美船は僕の言葉に耳を傾け続け、そのうちだんだんと目を細めて、僕の肩にゆっくりと額を押しつけた。
 わかった。ありがとう。
 だけどいつものように、僕の心が直ぐに凪ぐことはなかった。
 空を見上げると、月はますます輝きを増し、夜空を青白く染め替えていた。そのまばゆいばかりの光線は、美船の紺青の瞳から流れ落ちたしずくを、きらりと光らせた。

 その後、どうなったかって?
 置き土産のようにライトを残して、美船は突然姿を消したんだ。あの夜は、きっと故郷の星から迎えがくる日だったんだろうな。
 その後、お父さんは学校で友達ができたのかって? 
 ああ、おかげさまで。美船にもらったライトをこっそりクラス全員にむけ、積極的に話しかけにいったら、徐々に仲良くなれたよ。
 だけど後で気づいたんだ。このライトをケンカしている犬たちに向けても、離婚協議中の友人夫婦に向けても、テレビ越しに戦争中の国の大統領の顔に向けてみても、何も変わらなかった。犬はケンカをやめなかったし、友人夫婦は離婚したし、戦争もすぐに終わらなかった。このライトは、美船の星では効果があるのかもしれないけど、地球上ではどうやら使いものにならないらしい。
 だけど、大事なことを思い出させてくれる。夏休みに、短期留学のようにやってきた美船のことを。お互いに必死に理解しあおうとしていた、あの楽しかった日 々を。
 このライトは、一歩を踏み出す勇気をくれるんだ。いつかまた、宇宙からの留学生がやってくるかもしれないという希望もね。

Profile

京橋 史織

1972年徳島県生まれ。
お茶の水女子大学生活科学部卒業後、一般企業に勤務しながら脚本を学び、ラジオドラマや舞台等の脚本を手がける。
第39回創作ラジオドラマ大賞入賞。その後、スイスへの転居をきっかけに、小説執筆を始める。2021年、『午前0時の身代金』で第8回新潮ミステリー大賞を受賞。

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