初めてねこみみと仲良くなったのは三つの頃だった。主な遊び相手だった兄を小学校に取られ、一人で家の周りを歩き回っていた時のことだ。当時住んでいた家は居留地のすぐ近くにあり、その気になれば子供一人でもふらふら中まで入って行くことができたのだ。
両親をはじめとした周囲の大人たちは彼らを一様に「ねこみみ」と呼んでいた。おそらく侮蔑的な意味をかなり含んだ呼称だったのだろうが、当時まだ幼かったこともあり、私は特に違和感を持ったりなどはしなかった。実際彼らには猫耳がついているわけだし、何なら当時は今よりずっと人間離れした感じがあったのだ。
どういうきっかけがあったのかは憶えていない。でもまあとにかく私と晴子は仲良くなって、やがて暇さえあれば二人で一緒に遊ぶようになった。場所はいつも居留地の門を入ってすぐのところの資材置き場だ。昼食を終えてから小走りに行くと、晴子はバッカンの縁に腰掛けて足をぶらぶらさせたり、蟻の行列にちょっかいを出しながら私をそこで待っていた。
晴子は生まれてまだ数ヶ月ということだったが、人間でいうと私よりだいぶ年上になるらしい。実際、彼女の方が背丈はすでに大きく、体つきもしっかりしていて、身体能力もかなり高かったように思う。そんなこともあって両親は私がねこみみと遊ぶことを多少心配していたようだが、しょうもないことで一緒に笑ったり、くだらないことにむきになったりする晴子は、何というか、私と何ら変わらない、至って普通の子供だった。
私の家族はほどなくして別の町に引っ越したから、私たちが一緒にいたのはせいぜい一年足らずの短い間だった。しかし、その時のことは今でもよく憶えている。晴子は成長期の真っ只中にあったようで(もちろん私も成長期ではあったわけだが、晴子のそれとは比べものにはならなかった)私との身長差は日に日に大きくなり、長い手足にはしなやかな筋肉がついていった。体中を薄く覆っていた細かい毛が濃さを増し、頭もずっと良くなっていたのだろう。ただの遊び友達だった私たちの関係は、いつしか歳の離れた姉妹のようになっていた。
「私たちの寿命は、人間よりずっと短いんだよ」
ある時、晴子が私に言った。「那奈ちゃんは、そうだね、病気になったりしなければ、たぶん百歳くらいまでは生きられるよ。でも私は……まあせいぜい二十年ってところかな」
晴子が口にする「な」の音は「にゃ」とのちょうど中間くらいで、私にはそれが妙に心地よかった。
「晴ちゃんって今いくつ?」
私が訊くと、晴子は笑って「もうすぐ二歳」と言った。私はつい先日四歳の誕生日を祝ってもらったばかりだった。
当時の私には、自分と晴子の違いがいまいちよくわかっていなかった。どうして晴子の背ばかりがグングン伸びていくのか。なぜ私たちが取っ組み合いの喧嘩をしなくなったのか。泣き虫だった晴子がどうしていつからか少しも泣かなくなったのか。この世界で生きてきた時間は明らかに晴子の方が短いらしいのに、なんで人間でいうと年上になるのか。私にはまだ理解ができなかったのだ。
中学生のある日、私は一通の手紙を受け取った。差出人の住所は私がかつて住んでいた町で、それは晴子が老衰で息を引き取ったことを報せる彼女の息子からの手紙だった。晴子にはすでに孫もいたということだった。
ゼミが同じだったこともあり、彩花とは自然と親しくなっていった。彩花は人間の大学に入学した最初のねこみみのうちの一人で、だからまあ何につけ目立つ存在ではあったのだが、私にとってはただの友達の一人だった。
当時はちょうどその手の運動が盛り上がりを見せ始めていた頃で、それまでの呼称の代わりに新人類とか猫系人という呼び名が用意されたのもこのあたりだ。まあ現状を見ればわかるように、そんな呼び名を使っている人はその頃からほとんどいなかったが。
彩花には晴子のような細かい体毛は生えていなかった。ただでさえ交代の激しいねこみみたちは、世代を重ねるごとに驚くべき速さで変化していた。何度か会ったことのある晴子の母親はどちらかというと二足歩行する虎という感じだったが、私よりほっそり小柄だった彩花は、それこそ猫耳以外は私たちとほとんど変わるところがなかった。
「そういえば彩花って全然『にゃ』って言わないよね」
いつだったか、昼ご飯を食べながら、私は彩花に言ったことがある。
「……馬鹿にしてんの?」
彩花はカレーを食べながら言った。学食では彩花は決まってカレーを注文した。カレーと名乗っている癖に全然辛くないから私は嫌いだったのだが、彩花はえらく気に入っていたらしい。彼女はそれをスプーンでこれでもかというくらい混ぜて食べるのだ。
「そういうわけじゃないけど。何となく気になったから」
「言うわけないだろ。思い込みだよ」
「子供の頃に仲良かった子はちょいちょい言ってたけど」
「子供の頃だからだよ。人間だっていい年してバブーとか言わないだろ」
「……そういうもんなんだ?」
「そういうもんなんだよ」
どちらかというと不真面目な――つまり一般的な大学生だった私と違って、彩花はかなり熱心な学生だった。私が顔を出していた教室のほとんどで彩花の姿を見つけることができたし、毎年大量の脱落者を出す資格がらみの授業も彩花は楽々パスしていた(勿論私は落ちた)。
彩花は学校の外でも色々熱心に活動しているようだった。そっちの事柄については興味がなかったから私はほとんど知らないが、あちこちに包帯を巻いていたり、目を真っ赤に腫らしているのを見かけることはしょっちゅうだった。
今になって思うと、あの彩花の熱心さは、かつて晴子が言っていたことと少しは関係があるのだろうか。激しい変化を続けるねこみみたちではあったが、寿命が延びたという話は聞いたことがない。彼らのほとんどは晴子と同じくらいの速度で成長して、やはり同じような年齢で死んでいった。そんな彼らにとっての一日が、私の一日と同じであるはずがない。
「ところであんた、今何歳だっけ?」
私が訊くと、彩花は少し口ごもってから、
「……四歳だけど。だから何?」
後で調べたところによると、ねこみみの四歳は人間でいう三十代にあたるらしい。
彩花が口ごもった理由がどちらなのかは結局わからなかった。
インターホンが鳴り、玄関を開ける音が続く。しばらくするとリビングのドアが開いて、横尾さんが顔を出した。足音は少しも聞こえなかった。
「まーた鍵かけてなかったでしょう」
横尾さんは役所に勤める若いねこみみだ。二年ほど前に何かの調査で私のところに話を聞きに来て、以来ちょいちょい顔を見せてくれるようになった。特にこれといった用事もないことがほとんどだが、今では私も横尾さんが訪ねてくるのを楽しみに待つようになった。
立ち上がりかけた私を押し止めて、横尾さんが台所でお茶の用意をしてくれる。
私は普段ほとんど外出をしない。身の回りのものは業者が届けてくれるから買い物の必要はないし、出掛けたところで知り合いもいない。ねこみみの知人はいるにはいるが、みんな私より遥かに年下で、彼らにとっては私など、数百年前からそこにある老木を眺めるような感覚だろう。まあ無理ないことではあるが。
「壁紙変えたんですね」
湯呑みのお茶を吹いて冷ましながら横尾さんが言う。私は椅子に腰掛けたまま体を捻り、背後の壁に目をやった。ずいぶん前に注文していたものがやっと届いたから、昨日早速貼り替えたのだ。
「古くなってたからね。上手にできてるでしょ」
「まあそれはそうですが……」
飲むのを諦めたらしい湯呑みを机に戻して、横尾さんは部屋の中を見回した。無機質で狭いリビングは薄暗く、あまり見られると少し恥ずかしいような気がしてくる。だが、そういう感覚にももう慣れてしまった。
横尾さんが言う。「余計なお世話かもしれませんが、この家はさすがに少し窮屈じゃないですか? 言っていただければ、多少はこちらで何とかできますよ」
この国に住むねこみみたちの多くは伝統的な様式の家屋を好む。ゆったりした庭や日当たりのいい縁側は、むしろ彼らの体質に合っているらしい。
しかし。私は首を横に振る。「これでいいのよ。こっちのほうが慣れてるから」
こういう家で私は暮らしてきたのだ。フローリングの床に壁紙の部屋で、庭なんかそもそも存在しないような家で、私たちはずっと生きてきたのだ。
今朝のニュースで、またどこかで人が死んだということが報じられていた。これで残りは千を切ったということだ。その全てが管理下にあるそうだから絶滅の心配はないということだったが、昔を思えばずいぶんなことになったものだ。
あちこちにあった居留地もいつの間にかなくなった。なくなった――というより、あやふやになったという方が正確だ。なし崩し的に融合し、それがいつしか逆転した。今となってはその言葉は私たちにこそ使われるべきものだ。そのこと自体の良し悪しについては私にはわからないし、判断を下す意味ももはやないだろう。
「何か必要なものがあれば言ってくださいね。欲しいものでも」
「そうね。玉葱の山ほど入ったカレーが食べたいかな」
「あはは。またそんなこと」
すっかり冷めたお茶を飲み干すと、横尾さんは帰って行った。来週は誰かを一緒に連れてくるらしい。昔の話を聞きたいそうだ。月に何度かそういうねこみみがやってくる。役に立てているという実感はあまりないが、彼らは私の話を実に真剣に聞いてくれる。
洗いものをしていると、窓の外から子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。十中八九ねこみみの子ではあるだろうが、たとえそうではなかろうと、私にはもう聞き分けることなどできない。湯呑みと皿を洗い籠に伏せ、濡れた手をタオルで拭う。
先日、私はまた誕生日を迎えた。もうつくづく飽きてしまったが、軽く調べたところによると、私の年齢はねこみみでいう十九歳にあたるらしい。
――なるほど。そういうものなのだ。
上着を羽織って玄関へ行く。靴を履くのは久しぶりだ。十年以上前に買ったもので、当時はまだはっきりした区別があったが、横尾さんが履いている靴と形も大きさもほとんど変わらない。たぶん今ならそのへんの店でも、私は足に合う靴を見つけることができるだろう。
私たちのやり方は少し間違っていたのかもしれない。だがもしそうだったとしても、まだ取り返しがつかないところへまでは来ていないはずだ。完全に取り返しがつかないなんてことはないはずだ。たとえいくらか絶望的に見えたとしても、それはそれとして、気長にしつこくやっていけば、きっとそれなりの結果が得られるだろう。
商店街まではそれなりに距離があるが、まあ休み休みゆっくり行けば問題はない。横尾さんのくれた杖もある。大丈夫だ。しぶとさは、私の数少ない取り柄のひとつだ。
1994(平成6)年、兵庫県生まれ。大谷大学文学部卒業。
2017年『隣のずこずこ』(「権三郎狸の話」改題)で日本ファンタジーノベル大賞2017を受賞しデビュー。
江戸川区は、「ともに生きるまち」を目指し、今後さまざまな取り組みを行ってまいります。
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