TOMONI
GO TO 2100 ともに生きる江戸川区

未来へのヒント

HINT

個性を知る、認め合う機会を得られる社会に

ヨシダナギ

ヨシダさんは、江戸川区の出身ですね

幼少期のヨシダナギさんと江戸川区

 1986年の7月6日に江戸川区で生まれました。生まれたのは平井ですが、幼稚園の年中さんの時に船堀に引っ越して来たんです。そのため、江戸川区は地元ですね。生まれてから10歳頃までいて、その後千葉にも10年いたんですけど、地元感は圧倒的に江戸川区の方がありますね。

江戸川区に住んでいた時に、印象に残っていることは

 江戸川区に印象に残っていることはたくさんあるのですが、ひとつは紙芝居屋さんです。いつの時代の話をしているんだとよく言われるのですが、今でも本当にいい体験だったなと思うんです。最初自転車で来ていた紙芝居屋さんがだんだん車に変わっていったのも面白かったです。
 そのほかにも、裏山って呼ばれていた山で焚き火して焼き芋を作ったり、木登りしてザクロを採ったり、今思うと結構田舎に住んでいたのかなと思えるぐらいに外で遊んでいました。
 あと、同じ団地のおじいさん、おばあさんたちに面倒を見てもらいました。鍵を忘れた時にまわりの人が家に入れてくれたり、お母さんに怒られて外に出された時に隣のおばちゃんが一緒に謝ってくれたり、今考えるとすごく助けられたと思います。

 私が住んでいた街は、まさに下町人情にあふれていました。それが当たり前だと思っていたのですが、引っ越してからはそれが違う世界だったと感じていました。引っ越し先が「ザ・核家族」みたいな場所だったので。

表現が苦手だったそうですが、ヨシダさんに変化を与えてくれたきっかけは

絵という感情表現を見つけて広がった世界

 学童クラブに通っていた時、一番年配の先生が今の私を見出してくれたのだと思います。私は、人と言語でコミュニケーションをとることがとても苦手で、感情を親にもうまく伝えることができませんでした。顔にもあまり表情が出ず困らせてしまい、嬉しい時はもっと嬉しそうにしなさいと言われていました。
 そんな時、学童クラブの先生が「ナギちゃんにはペンと紙を持たせてあげれば、この子は絵や文字で自分を表現することができる」とお母さんに伝えてくれたんです。私にとっては理解者が現れたと感じました。その先生は、子どもの個性を見出すのがうまかったです。“ふつう”という枠にはめるのではなく、どの子も同じではないと認めてくれていた。そこがすごい自信に繋がりました。

 絵を描くこと、それが感情表現のひとつでした。絵を通じて、気持ちが伝わると、親や先生が喜んでくれて自然と楽しくなりました。自分でも「みんな違ってみんな面白い」となんとなく幼い時から思っていましたが、この経験からそれが確信に変わり、今の活動にもつながっているのかもしれません。
 人とのコミュニケーションは苦手でも、幼い頃から自分と違う人にとにかく興味津々で、違えば違うほど面白いと思っていました。近所も含めて、世界には全然違う人たちがたくさんいて、面白そうだと思うと、自然といろんなところに行ってみたい、人に会ってみたいと考えるようになりました。そんなある日、テレビで観たアフリカの人に“ビビッ”ときたんです。その日から、「いつかこのかっこいい人たちに会いに行こう」という目標ができました。英語とかも全然できませんでしたし、今も話せませんが(笑)。日本語も他の言語も同じで、言葉で話すのは今でも苦手です。

 言葉で話すことが苦手だからこそ、相手との意思疎通では、とりあえず私は笑っておくことが大事だと思います。
 それは本当にお母さんにずっと言われていて、話せなくてもいいから、仲良くしたいと思った相手にはとにかくニコニコしなさいと。それを本当にアフリカでも実践しています。とりあえずニコニコして、変な奴と思われたらこちらのもの、とりあえずくっついていく、しつこくし続ける。これがポイントです。
相手に対して笑顔でいれば、向こうから極端に嫌われることはあまりないのではと思います。
 逆に、この人とはあまり分かり合えないなと思った時は、”優しくほっとく”という対応ができたらいいなと思っています。放っておくことは悪いことではない。もちろん話合うことができれば早い、良いとは思いますが、共通言語がなかったり、意思疎通がうまくいかないと、カッとなることがあると思うので、感情的にならずにいられるので良いと思います。

ヨシダナギ

幼い頃のお友達に障がいのある人がいたことも大きな経験とおっしゃっていました。

自分の個性・弱点を理解できたからこそフォトグラファーとして発信することを決めた

 私の通った学童クラブや小学校に、身体に障がいのある子が結構いました。耳や腕がないという、見てわかる程度の障がいのある子もいました。でも、学童クラブの先生が「いろんな性格の子がいるように、この子の体にはちょっと特徴があって、みんなにある物がなかったりするだけなんだよ」って教えてくれたんです。子どもながらに、とても腑に落ちました。そして、耳がないからみんなと違うのではなくて、「右耳がないんだったら左側から話しかけようね」とか、「この子はみんなと同じようにできるからハンデはなしね」と話してくれました。そしてみんながその話を素直に受け入れていました。

 誰にだってハンデがあります。私の場合はちょっと引きこもりがちとか、感情が言語化できないとか、それと同じです。私自身も意地悪されることもなかったですし、コミュニケーションがちょっと下手な子くらいに扱ってもらえていた。自分も含めて特徴があって、互いの個性を認めることをふつうのこととして教えるのはとても大事だと思います。  でも大人になるにつれ、障がいがある人に対する周りの反応を見た時に、何が起きているのかわからずショックを受けました。その頃の江戸川区の特徴として、先生だけでなく見知らぬ人を含めて、そういうことを結果的に教育してくれていたなと思います。
 この経験の根本は、アフリカに行った時に感じたのですが、人は知らないものを怖いと思ってしまう。会ったり、近くにいれば色々と知ることができる。知る機会を与えてもらうっていうのは、何においても大事だなと私は江戸川区の経験で学びました。今の社会では見知らぬ人から学ぶという機会は難しいかもしれないですが、そういった社会であることは理想だと思います。

 私がアフリカの人々に感じている「かっこよさ」を言葉で伝えるというのはそもそもすごく難しいです。それができれば執筆者でも良かったですし、歌やダンス、絵でも良かったんです。しかしたくさんある選択肢の中で、私にもできる「かっこよさ」を伝える術が、「カメラ」という便利なものでした。自分が良いと思った時にボタンを押すだけで、そのかっこ良さを切り取って、何も言わずとも見てもらえる。これが自分にとっては1番ちょうど良かったのです。だから方法は本当に何でも良かったですね。一眼レフのデジカメがあったからできましたが、もしフィルムだったらフォトグラファーにはなれていません(笑)。カメラも本来的には好きではないですし。
 ただ、私が見つけた「かっこいい」を人に知ってほしいという一心を、しつこくやり続けた。カメラが好きか嫌いかも考えずに、とにかく続けた。うまくいかなくてもやり続けたら、それをテレビ番組が取り上げてくれて世界が変わりました。

 自分の友達である「かっこいい人」たちを、見てもいない人に否定されるのがただただ悔しかった。だから本当に純粋に、私の「かっこいい」対象を見ることもせずに否定しないでって言いたかった。それだけの執念でした。

後編(自分の個性に自信をもつこと)につづく

プロフィール

ヨシダナギ/フォトグラファー

ヨシダナギ/フォトグラファー

1986年生まれ。
独学で写真を学び、アフリカやアマゾンをはじめとする少数民族や
世界中のドラァグクイーンを撮影、発表。
唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され
2017年日経ビジネス誌で「次代を創る100人」へ選出。
同年、講談社出版文化賞 写真賞を受賞。
以降、国内外での撮影やディレクションなどを多く手がける。