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未来へのヒント

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ときに弱音を言う時があってもいい

 バレーボール日本代表選手として一線で活躍されていた大山加奈さん。2010年に引退後、不妊治療を経て双子の女の子を出産しました。現在は「子どもたちにバレーボールの魅力を伝えたい」という思いから、全国でバレーボール教室を開いています。今回はバレーボールや妊活で立ちはだかった壁を乗り越えてきた大山さんに、うまくいかないと悩む人へのアドバイスなどをお話しいただきました。

大山さんのご経歴をお教えください。

 私は江戸川区の篠崎で生まれ育ちました。小学生から高校生までバレーボール部に所属しており、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校在学中に日本代表に選出され、オリンピックや世界選手権に出場しました。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に所属し、2003年には新人王を獲得しています。その後26歳で現役を引退してからは、子ども向けのバレーボール教室を開いたり、試合の解説をするなど、バレーボール普及のための仕事をしています。私生活では3歳になる双子の女の子の子育てに奮闘中です。

生まれ育った江戸川区の印象やエピソードを教えてください。

他の地域に住んでみると、江戸川区の環境と人の良さを再認識できました

 江戸川区での思い出はたくさんありますが、特に印象深いのは篠崎公園です。篠崎公園の近くに住んでいたので、毎日のように訪れてバレーボールの練習をしていました。ほかにもお花見をしたり、篠崎公園そばの河川敷で開催される花火大会を観覧したりと、篠崎公園は私にとってたくさんの思い出が詰まった場所です。
 他地域に引っ越してからは、広い公園や河川敷などが多い江戸川区は、自然がいっぱいの恵まれたエリアであることを実感しています。下町ということもあり、近所の人や周囲との距離が近く、子育ての面で困っているときに助けてくれる人が多いと思うので、人の良さも評価される地域だと思います。

バレーボールとの出会いや、長く継続できた秘訣を教えてください。

スカウトにより始めたバレーボールでの楽しさや成功体験が継続するためのエネルギーになりました

 私は幼い頃、ほかの人より体が弱く、バレーボールを始めるまで運動経験がなかったため「自分は背が高いだけで何も取柄がない」と思っていました。小学2年生の時、地元のクラブチームに背が高いからという理由でスカウトを受け入部。バレーボールをはじめたことで自分にもできることがあるのだと気づき、徐々に自己肯定感があがっていきました。誰かに必要とされたり、褒められたりする環境が、私にとって幸せな場所だったんです。生まれて初めての成功体験を経験できたことで、バレーボールがどんどん好きになり、もっと上手になりたいという思いから、練習が休みの日には公園でバレーボールの練習をするようになりました。公園でしていたバレーボールはクラブチームでの練習と違い、コーチなどの大人の目がない環境であったため、ミスしても怒られず、時に楽しく、時に真剣にバレーボールに熱中していました。厳しい練習以外に、バレーボールを楽しむ時間があったことが長年継続できたコツだと思います。

バレーボールでネガティブな感情を抱いた時、どのように乗り越えてきましたか。

弱音を吐いて気持ちをリセットすることで、明日からも頑張ろうと思えました

 バレーボールを始めた当初からエースやキャプテンなど責任のある立場にいたので、弱音が吐けず、強い人間を演じていました。2004年のアテネオリンピック直前、長年ため込んでいた負の感情がピークになり、周囲に初めて「もう無理、逃げたい」と今まで抱えていた負の感情を吐き出しました。驚くことに、弱音を吐いただけで心がすごく楽になって、「明日からも練習頑張ってみよう」と気持ちを切り替えることができたんです。それからは苦しいことがあっても溜め込まずに吐き出すようにしています。苦しいことがあったら周りに話をしてみる、周りを頼るということを覚えてからは、さまざまなことが乗り越えられるようになりました。

子どもたちへのバレーボール指導の際に心がけていることはありますか。

指導側のするべきことは、できる部分を多く見つけ、認めてあげること

 指導の際は、できないことよりもできる部分に目を向けるようにしています。自分のできないことを認識できる子は多くても、自分ができていることや得意なことを見つけられる子は案外少ないんです。指導側は長所を見つけて本人に伝えることを積極的に行うべきだと思います。そうすることで子どもたちの自己肯定感もあがり、プレーにも良い影響があるのではないでしょうか。
 また、私は長年バレーボール一筋で、他のことに目を向けてこなかったのですが、セカンドキャリアを考えたとき、バレーボール選手以外の選択肢が2〜3個あればよかったなと思いました。今指導している子どもたちには、本人の意思でさまざまなことにチャレンジしてほしいので、「競技は人生を豊かにするためのツールの1つ」ぐらいの気持ちで取り組むようにとアドバイスをしています。

大山さんが二人のお子さんを授かるまでには、大変な悩みやご苦労があったかと思います。
そのご経験を踏まえ、妊活をしている人へのアドバイスがあれば教えてください。

 不妊治療をする際は、自分にとってリラックスできることや、癒しになるものを見つけて、ストレスを少しでも減らすことが重要です。私は不妊治療をしている時、友人の妊娠や母の病気などで妊娠を焦る気持ちが大きくなり、日々ストレスを感じていました。「不妊治療はストレスを軽減させることが大切だ」と産婦人科の先生にも言われていたので、環境を変えるという意味でも犬を飼ってみたら何か変わるのではないかと思い、新しい家族に迎えたんです。犬を迎えてからは、自分でも驚くほどにストレスが少なくなり、リラックスした気持ちで治療をすることができました。私が不妊治療を乗り越えられたのは犬の存在が大きかったのかもしれません。

江戸川区では、2024年(令和6年)1月11日から、プレコンセプションケアの支援を行うための窓口「プレコン相談」を開設し、区民の皆様に無料で、医師へ相談や妊娠可能性検査を受けることができる支援をスタートしました。

 とても良い取り組みですね。私自身は、子どもを授かるまでに5年ほど不妊治療をしていました。不妊治療をしている間は、体だけでなく心も疲弊してしまっていて、治療に大きなストレスを感じていました。子どもができにくい体であることをもう少し早く知っておけば何か違っていたのかなと思うこともりました。そういう思いもあり、将来子どもが欲しいと思っている方は、体の状態を知ることができる「ブライダルチェック」などの検査をしてほしいと思いますが、費用は高額ですよね。若い人は特にお金をかけてまで検査をしたいと思う人は少ないと思います。このような支援をする地域をもっと増やして、医師への相談や妊娠可能性検査を無料で受けられることが当たり前になってほしいです。
※「ブライダルチェック」とは結婚・妊娠前の方を対象としたトータルチェックのことを表現しています。

キャリア×家庭×子育てのバランスをとるためにはどうするべきでしょうか。

 この3つを天秤にかけると多くの人がキャリアを犠牲にしてしまうと思います。しかし、自分が幸せでなければ子どもたちや家族が幸せになることはできません。子育てをしていても家庭を持っていても、自分を犠牲にする選択をすべきではないと思います。そのためすべてを一人で抱えるのではなく、周囲の人を頼ってみてください。そうすれば自然と、この3つのバランスがとれるようになるのかなと思いますよ。

江戸川区は「ともに、生きる。」をキャッチコピーに、共生社会の実現を目指しています。そのために必要だと思うことを教えてください。

支え合うことで自然と共生社会はできるはず

 先ほども述べた通り、私は現役時代に弱音を吐き出せず、とても苦しい思いをしていました。その苦しみが和らいだきっかけは、周りの人に弱さを見せたことです。私を含め、多くの人は弱みを見せることに対するハードルを高くしすぎているように感じます。弱みを見せることは決して恥ずかしいことではないですし、弱音を吐いたら負けというわけではありません。そして誰しも家族や友人、恋人など支えてくれる人は必ずいるので、多くの人に頼ってほしいです。支えてくれた人に何かあったときは自分が支えてあげることで、共生社会は自然に成り立っていくのではないでしょうか。

今後チャレンジしたいことはありますか。

 最近は自由にスポーツを楽しめる公園が減っています。子どもたちには多くのスポーツを体験してもらいたいと思っているので、そのための環境づくりをしていきたいです。また、スポーツに挑戦したいけど用具が揃えられない環境にいる子どもたちの援助をしていけたらと考えています。

プロフィール

柳家花緑

大山 加奈(おおやま かな)

小学校2年生からバレーボールを始め、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。
日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。

力強いスパイクを武器に「パワフルカナ」の愛称で親しまれ、日本を代表するプレーヤーとして活躍した。
2010年6月に現役を引退し、2021年に不妊治療を経て双子の女の子を出産。現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍しながら、バレーボールを通してより多くの子どもたちに笑顔を届けたいと活動中。