TOMONI
GO TO 2100 ともに生きる江戸川区

未来へのヒント

HINT

ともに、生きる。は簡単でない。だからこそ一人ひとりが取り組むべき3つのこと
=前編=
40歳を過ぎて初めて知った、自身が”障がい”を持っていたこと

 落語家の柳家花緑さんは、2017年に自身に発達障がいがあることを、著書『花緑の幸せ入門「笑う門には福来たる」のか?~スピリチュアル風味~』で明かしました。その後、発達障がいについて理解を広げたいという想いから、講演会に登壇するなどの活動を行っています。障がいを持つ方やそれに気づいていない方、周囲が理解し、支え合っていける社会のために、私たちができることについてお話しいただきました。

江戸川区に対しての印象はありますか。

 江戸川区には自身の落語会で何度か来たことがありますが、盛り上がったことを覚えています。落語は下町の話が多く、下町の良さを分かっている江戸川区の方と相性が良かったんですね。あとは、葛西臨海公園にも昔遊びに行ったことがありますよ。

落語を始めたきっかけはなんですか?

母の勧め、落語での成功体験からこの世界で生きていくと決意しました

 落語の世界に入門したきっかけは、母の勧めでした。また、祖父・五代目 柳家小さんの影響もあり、落語が身近な存在で、自然と触れていました。私は勉強が苦手で、成功体験が少なかったのですが、初めて人前で落語を披露した際、多くの方に評価してもらい達成感を強く感じました。それから高座に上がるたびに色々な人に喜んでもらえたことで、自己肯定感が上がり、落語の世界にどんどん引き込まれていったんです。中学校を卒業する頃には、この道で生きていく覚悟を決めました。始めるきっかけも、プロになるきっかけも母の勧めではありましたが、最後は自分で決めていました。母は導きが上手くて、私が覚悟を決めざるを得ないように誘導されていたと今になっては思いますが、そのおかげで現在の私がいます。

 高座に上がり始めてからは祖父が小さんであるということが、大きなプレッシャーでした。祖父の名を汚さないようにという気持ちや周囲からの期待がプレッシャーとなり、落語家を続けるか悩んだ時期もありました。戦後最年少となる22歳での真打昇進が決定してからも、良い評価ばかりではなく祖父と比べられて落ち込むことが多かったです。過度なプレッシャーから死を意識することもありました。しかし、その時に支えとなったのは祖父を悲しませてはいけないという意識と、話を聞いてくれた友人でした。

花緑さんは、ご自身の障がいにどのように気づかれたのでしょうか。

受け入れることができなかった視聴者からのメール

 私には、読み書きや計算などが苦手な「学習障がい(LD)」と、行動の制御が困難で不注意の多い「注意欠如・多動症(ADHD)」という発達障がいがありますが、これに気づいたのは最近です。子どもの頃は、算数や英語、国語などの勉強科目が極端に苦手でした。テレビ番組に出演した際、勉強が苦手だということを公にし、学生時代の通知表を公開したところ、その番組を見た発達障がいをもつ子の親から「花緑さんは学習障がいだと思いますが、自分の息子も同じで不安を抱えている。どのように乗り越えればいいか」という内容のメールを貰いました。その時は自身に障がいがあると自覚していなかったので、そのメールに「私は障がいを持っているわけではありません。その証拠に図画工作や体育、技術家庭などは良い評価なんです。」と返事をしました。発達障がいに対して良いイメージを持っておらず、認めたくなかったのだと思います。しかし、再度「息子も同じです。」とお返事をいただいたことを機に、発達障がいについて調べていくと、自分のプロフィールを読んでいるかのように特徴が当てはまりました。ネガティブな面だけでなく「突出した才能を持っている」という特徴も知り、「障がい」というワードに引っ張られていた自分に気づきました。そのことを受け入れると「勉強を頑張っても成果がでなかったのは障がいがあるからで、努力不足ではなかったんだ」と思うことができ、とても安心したのを覚えています。それは私にとって大きな変化で、長年抱えていた悩みが軽くなり、障がいを持っていながらも努力をしてきた自分を認めてあげられるきっかけとなりました。

「障がいかもしれない」と思っても認めづらいー

一番良いのは本人が気づいて病院に行けること

 私の場合、人に指摘されたことで発達障がいをもっていることに気づき、そこからはさまざまなことを前向きに考えられるようになったので、ありがたいと思っています。しかし、中には深く傷つく人もいると思うので、安易に周りが「病院に行った方がいいよ」などと促すのはおすすめできません。一番傷つかない方法は自分で気づき病院に行くことですが、自身の障がいに気づかず、悩みや不安を抱えたまま過ごしている人も多くいるでしょう。自分ができないことを責めつづけ、一生気づくことができなかった方もたくさんいらっしゃると思います。障がいと向き合える環境にあることが望ましいと思いますが、それを周囲が言うべきか否か、間柄や信頼関係、本人の状況によっても変わると思うので難しい問題です。
 直接的に障がいであるかもしれないことに踏み込む前に、できないことを周りが認めてあげることや、悩みを聞いてあげることで随分と生きやすくなると思います。話す中で障がいの可能性について本人が気づいたり、周りもそう言った会話が自然とできると良いかもしれないですね。

同じような障がいをもつ人々に伝えたいことはありますか

才能と障がいは表裏、喜びにも傷にもなる

 障がいを持っている方は、自身のできないことや苦手なことだけにフォーカスを当てるのではなく、多くのことにチャレンジして自分の得意なことやできることを探してみてほしいです。みなさん気づいていないだけで、人間は誰しも天性の才能をもっています。そのことに気づくためには教育の段階で大人たちが選択肢を狭めないことが大切。できないことがあっても大丈夫と思えるような環境を社会が作っていくことが重要だと思います。

プロフィール

柳家花緑

柳家花緑(やなぎや かろく)

1971年東京生まれ。
9歳の頃より落語を始め、1987年3月中学卒業後に祖父である五代目柳家小さんに入門。
前座名を九太郎。1989年二ツ目に昇進、小緑と改名。1994年、戦後最年少の22歳で真打昇進、花緑と改名。
スピード感溢れる歯切れの良い語り口が人気で、着物と座布団という古典落語の伝統を守りつつも、“洋服と椅子”という現代スタイルで新作落語や都道府県落語を口演する「同時代落語」、バレエの名作ストーリーを江戸落語に仕立てた「バレエ落語」など、落語の新しいスタイルへの挑戦をしている。
また、2022年からは『花緑のタネ!』と銘打ったネタ下ろしの会を新たにスタートさせ、50歳を越えた今も古典落語にも磨きをかけている。
2017年に発売した『花緑の幸せ入門「笑う門には福来たる」のか?~スピリチュアル風味~』(竹書房)にて、自身が識字障害(ディスレクシア)であることを公表。全国の発達障害をテーマとした講演会へも多数登壇している。