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未来へのヒント

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えどがわプライド。誇りを持つこと、広告すること。

 「広告」を広告し続けるクリエイティブディレクター・箭内道彦さん。タワーレコードやパルコなど、数々の企業の広告を手掛けると同時に、福島県クリエイティブディレクターとして故郷の情報発信に深く関わっています。東日本大震災後の福島に「行政と住民の間に溝が見えた」と話します。その経験から、まちづくりや災害前後のコミュニケーションについて話していただきました。

クリエイティブディレクターとはどんな仕事ですか?

 広告制作において、クリエイティブディレクターは総監督のような存在です。向かうべき地点とそこへの至り方を明確に指し示し、全てのスタッフを鼓舞しながら、ゴールへと連れていく仕事。私は、広告は「応援すること」だと思っています。商品を生んだ開発者や企業だけでなく、その商品が世の中に行き渡る社会までを応援したいと考えて広告をつくっています。

 そうしてできた広告を、より多くの人に届けたいといつも思ってはいます。しかし、たったひとつのクリエイティブで年齢や性別、育った環境や考え方が違う多様な人々とのコミュニケーションを成立させることは不可能です。本当に「伝える」ためには、発信の手段や表現の選択がどうしても必要になります。

 「広告をつくる」という行為は、以前は広告クリエイターが特権的に独占していました。しかし、時代が変化し、SNSの発達とともに、誰でも広告することができるようになりました。広告という”応援”を通して商品と出会った人が、その商品をさらに発信し多くの人を巻き込んでいく。広告の現在は、今後どのように変化していくのかも含めて、とても興味深い状況です。

福島県クリエイティブディレクターとして復興支援にも携わっていらっしゃいます。

行政と県民の架け橋になる役割

 福島県は私の故郷です。2007年にディレクションした「風とロックと福島民報 207万人の天才。」、震災前に結成してNHK紅白歌合戦にも出場したロックバンド猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」、2011年9月に福島県を西から東へ移動しながら開催した「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」等々、自分は民間の立場で福島県を「広告」していました。2014年秋、震災前から深く交流のあった内堀雅雄さんが知事になり、力になりたいという思いもあって、2015年春に「福島県クリエイティブディレクター」を引き受けました。県がクリエイティブディレクターを置くのはもちろん全国で始めてです。自分が長く広告で培ってきたスキルと人脈の全てを、私を生み育ててくれたふるさとの復興に捧げる覚悟で、福島県庁の内側に入りました。

 前例のない大災害に全力で向き合う県職員たちと、遅々とする状況への苛立ちを抱える県民との間には、分断が見えました。必要のない分断です。その溝を埋めること、その壁を壊すことが、クリエイティブディレクターとしての自分の使命でもあると考えました。両者が共通して持つ郷土への思いをクリエイティブの力で繋ぐことが、復興を推進する力になると強く思いました。

 震災から5年が経って、世の中には「福島県という名前を変えないと復興は難しい」と言う人もいました。海外の方の中には、日本人はみんな防護服を着て暮らしていると思っている人もいました。ネットの中で止まった時間、アップデートされない数々の誤解を理解に変えることが、福島県クリエイティブディレクターの役目でもありました。そのためには「福島の今」を正しく知っていただき、足を運ぶ人が増え、好きになってもらうことが重要であると考えました。

 前例のない災害には、従来の行政からの発信の手法に捉われない発想とアウトプットがどうしても必要です。「福島の魅力」を直面する課題と発信すべき相手に合わせて、「あなたの思う福島はどんな福島ですか?」「ふくしまプライド。」「来て。」「ふくしま 知らなかった大使」「もっと知ってふくしま」と胸を張って発信を続けて現在に至ります。

自然災害についてコミュニケーションをとる際、気を付けるべきポイントはなんですか?

光と影を、並べて発信する

 自然災害に関する発信はどうしてもネガティブな情報から入りがちです。かと言って「大丈夫」と言い切られると、逆に疑心暗鬼になってしまう人も多くいます。行政にとって、都合のいいことだけを伝えるのではなく、都合の悪いことだけを伝えるのでもなく、安全も、危険も、偏りなく発信することが重要です。曖昧な不安でなく、お仕着せの安心でもなく、住民の正しい判断を可能にする材料を手渡す。そこにクリエイティブが機能する。クリエイティブは綺麗な包装紙ではなく、社会の課題を解決するアイデアです。

江戸川区が住みよいまちになっていくためにできることは?

自分たちのまちを深く知り、魅力を見つけ好きになる

 自分たちのまちや地域を深く知り、好きになることが第一歩です。誰かにに好きになってもらうには、まず自分たちがそのまちを好きになること。まちを知り、魅力を知り、愛すること。長く住んでいると当たり前すぎて気づけないものですが、どんなまちにも魅力は必ずあります。それに気づいて自分の住んでいる場所に誇りを持てるようになると、人が繋がり、まちが輝き出します。江戸川区にゆかりのあるクリエイターと一緒に何かを作り上げていくような活動も必要ですね。江戸川区を深く知り、魅力がわかるクリエイターとだからこそ作れるものもあります。

「ふるさと」は山や川が広がる場所だけではない

 東京で生まれた人にとっては、東京も「ふるさと」であり「田舎」です。その感覚をさらに持てたら、東京はもっと強くなり、優しくなれるはずです。以前、東京メトロのキャンペーンの仕事で訪れた西葛西にあるインドのスパイス屋さんが気に入って、プライベートでも行くようになりました。価格も安くてお店の方もすごく感じの良い人です。「ふるさとはひとつだけど、地元はいくつあってもいい」と言った人がいました。「第二のふるさと」という言葉もあります。江戸川区はインドのご出身の方も多い。そういう人たちも含めて江戸川区を“地元”、“第二のふるさと”だと胸を張って言い合えたら素敵ですよね。自分たちの暮らすまちに「誇り」を持つ人が増えることで、そのまちはより住みよい場所になるのだと思います。

 多様な方々が暮らす江戸川区、中からと外からの、様々な視点でその魅力に気づき合えると、「ここがいいんだ」「ここが足りないんだ」と、まちづくりがもうひとつ前に進みます。みなさんがそれぞれに、広告し、応援することで、江戸川区はさらに輝くのだと思います。

プロフィール

箭内道彦

箭内道彦(やない みちひこ)

クリエイティブディレクター

1964年福島県生まれ。
東京藝術大学美術学部デザイン科卒業後、博報堂を経て、風とロックを設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」等、数々の話題の広告キャンペーンを手掛ける。
福島県クリエイティブディレクター、東京藝術大学学長特命・美術学部デザイン科教授、2011年NHK紅白歌合戦出場のロックバンド猪苗代湖ズのギタリストでもある。