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未来へのヒント

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宝塚歌劇団での経験を振り返り考える“やさしさを受け取る心”

 江戸川区は、全ての人にとって住みやすいまちを目指して、共生社会の実現に向けた取り組みを進めています。生まれ育った環境や価値観が異なる多様な人が暮らすまちでは、それぞれの人が進学や就職、結婚、転居などの環境の変化を迎えます。期待と不安が入り混じるなかで、前向きに過ごすにはどうすればいいのでしょうか。宝塚歌劇団の月組トップ娘役として活躍された江戸川区出身の美園さくらさんに、現在取り組まれている研究、人生を豊かにする心・感情の在り方をお話しいただきました。

美園さんのご経歴をお教えください。

小さい頃から身近にあふれていた音楽・舞台の世界へ

 宝塚歌劇団の舞台女優として2021年8月まで務め、現在は慶應義塾大学大学院で演技指導におけるコミュニケーションについて研究しています。芸術分野に長く身を置いてきた人生でしたので、学問は新たなステップとして日々充実感を得ています。

 舞台女優としてのルーツは芸術が身近にあった家庭環境にあります。母がオペラ歌手で伯母も音楽や演劇に造詣が深い人で、物心ついた時から家には音楽があふれていました。宝塚歌劇団に興味をもったのは、小学校1年生の時に伯母が連れて行ってくれた公演がきっかけです。伯母の影響で劇団四季や歌舞伎などの舞台を観ていましたが、宝塚歌劇団は初めて体感した舞台で好きになりました。それ以降も宝塚歌劇団に触れる機会をつくってくれる伯母に「宝塚歌劇団の舞台に立ってほしいのかな」と感じていましたが、小さい頃の私はおとなしい性格で、人前で歌ったり踊ったりするのは考えられませんでした。それでも伯母の勧めを受けて中学校進学後に宝塚音楽学校を受験するための習い事を始め、中学校2年生の時に観劇した宝塚歌劇団の舞台『エリザベート』に魅了されたのをきっかけに、私自身も入団したいという意志が強くなりました。

夢を実現できた要因は何でしょうか?

 晴れて宝塚歌劇団に入団し、多くの方々の支えもあり月組トップ娘役として舞台に立つことができましたが、その下地となる部分を育んでくれたのは母と伯母です。歌うことを後押ししてくれて、楽譜や楽器にも自由に触れさせてくれたので、音楽がどんどん好きになり無理にやっているという感じはありませんでした。子どもの頃から宝塚歌劇団を卒業するまで、私の自主性を尊重して温かく見守り続けてくれた母と伯母にはとても感謝しています。

江戸川区での思い出をお教えください。

故郷を離れて気付いた江戸川区への愛着

 幼少期を過ごしてきた江戸川区にはいろんな魅力があります。都心近郊でここまで緑豊かな地域は少ないと思います。親水公園は父が都市マスタープランや地区計画など、具体的な計画づくりにも関わっていたので親近感もひとしおです。最近では旧中川がビュースポットとして人気みたいですね。区内を流れる川は区民にとって身近な存在であり憩いの場でもあります。私も宝塚歌劇団の新人公演を控える時に、川の前で一人セリフを練習しました。広々とした環境のおかげで集中して役に入り込むことができました。江戸川区の川は舞台女優としての成長を見守ってくれた存在であり、今でも川を眺めると当時の私が映っているような気になります。

エピソードから美園さんが江戸川区にとても愛着を持たれているように感じます。

 この前、大学院の研究室にいる人たちが「地元への愛着ってなんだろう」という討論をしていました。愛着は一体どこからくる気持ちなんだろう、というところから始まり、ある人は「私は地元にまったく愛着がない」と話していました。私も江戸川区を離れて宝塚音楽学校、宝塚歌劇団に入った頃は、地元への愛着について考えたこともなくそれほど強くなかったかもしれません。いまでは、遠く離れた場所から江戸川区を想う経験をしたからこそ地元の魅力を再認識し、江戸川区に帰ればホッと安心する私がいます。地元に愛着がないと話していた人も、月日が経てばふるさとの良さがひとつずつ増えていくのかもしれないですね。

 最近は銭湯にハマっていて、実はこの取材の前にも銭湯に入ってきました。江戸川区には銭湯がたくさんあります。銭湯を目当てに遠くまで来ると「ここも江戸川区なの?」と驚くことがよくあります。江戸川区は東京23区で4番目に面積が広いので、地域によって特徴や雰囲気が異なっていて驚きや発見が尽きないです。江戸川区出身として灯篭流しに参列させていただいたり、小松川警察署の一日警察署長に任命いただいたりなど、様々なかたちで江戸川区に携われることを大変光栄に思っています。これからも地域の方々とふれ合える機会を楽しみにしています。

大学院での研究についてもお教えください。

差し伸べられる手を素直に受け取れる社会を目指して

 宝塚歌劇団を卒業後、2022年4月から慶應義塾大学大学院で演技指導におけるコミュニケーションについて研究しています。宝塚歌劇団在団中に訪れた自身の変化により、メンタルヘルスに関心を持ったことがきっかけでした。月組トップ娘役として最高の舞台をお届けしなければならないというプレッシャーと戦う日々。舞台を楽しむ一方で、重圧に押しつぶされそうになる私がいました。エンターテインメント業界に限らず社会には私と同じように心の悩みに困っている人がいるのでは……。在団中に抱いた課題の解決方法を見出そうと思い、大学院に入学しました。

江戸川区が令和3年度に実施したひきこもり実態調査では、76人に1人がひきこもりというデータもあります。

 辛い体験をきっかけに、気持ちが落ち込み解決の出口が見つからないまま、社会から離れようとするのは辛いことです。このまま解決策が見つからなければ、より多くの人がメンタルに悩むようになるかもしれません。特に子どもたちに向けた取り組みは喫緊の課題です。私は子どもたちと接するボランティアにも携わってきましたが、今の時代の子どもたちを見ていると、気持ちを大きく表現する機会がないように感じます。ありのままに喜怒哀楽を表現したり、周りの人たちと気持ちのコミュニケーションを行わないまま成長してしまえば、いつか訪れる人生の壁に直面した時に、周りから差し伸べられる手を素直に取れないと思います。その想いが研究の原点にあります。研究では私が宝塚歌劇団で培ってきた経験を疑似体験するコンテンツや、自分のメンタルと向き合えるコミュニティの可能性について考えています。現在は、専門的なメンタルヘルスの領域とは少し離れたところから深掘りしている最中です。

気持ちを前向きにするにはどのようなことが必要だと思いますか?

 私の実感として、気持ちを前向きにする力を持つのは『周りからの応援・サポート』だと思います。舞台女優として悩む日々のなかでも周りの人たちから差し伸べられる手や、変わろうとする私の姿勢に気付き励ましてくれる人たちの声に何度も救われました。今悩んでいる人は、自分の価値観を持って周りの人と向き合い、お互いの考えを知ることから始めてみてほしいです。もしかすると、自分が思っていたことが正しくないと気付くかもしれません。それがお互いを理解し、周りとの温かいコミュニティを築くことにつながるはずです。

 江戸川区は多様な立場の人が共生する社会に向けたまちづくりを進めていますが、街中に人と人とがふれ合える場所があるのは良いことだと思います。母も朝の散歩で川沿いを歩いて、そこを訪れる人たちとの自然な会話を楽しんでいます。江戸川区という場所で暮らすという共同意識のもとお互いを理解し合えるようになり、より多くの人が前向きに生きられる社会になることを期待しています。

プロフィール

美園さくら

美園さくら

宝塚歌劇団月組元トップ娘役。東京都江戸川区出身。
大妻中学高等学校を経て、2011年に宝塚音楽学校に入学。13年に宝塚歌劇団に首席で入団し、「ベルサイユのばら」で初舞台を踏む。翌年、阪急阪神初詣ポスターのモデルに起用される。
月組に配属され、15年「1789-バスティーユの恋人たち」で新人公演ヒロインに抜てき。
その後も数々のヒロインを演じ、18年に月組トップ娘役に就任した。
主な出演作は「I AM FROM AUSTRIA-故郷は甘き調べ」など。21年、「桜嵐記」「Dream Chaser」を最後に退団。
退団後、慶應義塾大学の大学院へ進学。
中学3年生で受験した数学検定準2級で年齢不問2万2222人中全国第1位となり、「文部科学大臣賞」を受賞。