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未来へのヒント

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誰もが安心して暮らせる“バリアのない地域社会”を目指して

 0歳から100歳以上の方、中には障害のある方や外国籍の方など様々なちがいを持つ住民が集う江戸川区は、そのちがいが尊重され、安心して自分らしく暮らせる「ともに生きるまち」を未来像として掲げています。その実現に向けて、NHKのプロデューサーとしてEテレの番組『バリバラ』を手掛ける森下光泰さんに、さまざまなマイノリティと交流を重ねてきた立場から、誰もが安心して生活できる社会づくりのヒントをうかがいました。

森下光泰

森下さんはどのようなきっかけでNHKに入局しましたか?

さまざまなマイノリティや社会問題と向き合いたい

 学生時代に部落問題や日雇労働者など、さまざまな社会問題に関心を抱き、障害のある人の介助や野宿者への炊き出しなどのボランティア活動に参加したり、性的少数者の友人と講演会を企画したりしていました。こうしたなかで、大切なマイノリティの視点を学ぶことができたと思っています。

 NHKに入局したのは、マイノリティをはじめとする社会問題に幅広く関わりたいという想いからです。学生時代の活動は、自らの考え方や価値観を醸成する大切な学びの場でした。一方で、現実の社会では、さまざまなマイノリティの人たちが、“見えない存在”とされてしまっていることにも気づきました。私を成長させてくれた人たちへの恩返しとなり、多様な人が自分らしく暮らせる社会を実現する一助となりたいと考え、社会に向けて広く発信できるメディアで働くことを選びました。

森下光泰

 入局後は、『福祉ネットワーク(現 ハートネットTV)』『その時歴史が動いた』『歴史秘話ヒストリア』『ETV特集』などの番組で、部落問題や先住民族アイヌ、戦争や核の問題などを取り上げてきました。振り返ってみると、これまで出会った人たちに頂いた宿題を一つずつ返していくような気持ちで番組をつくってきたように思います。

みんなのためのバリアフリー・バラエティー『バリバラ』はどのような想いで制作していますか?

障害の有無にかかわらず、すべての人が生きやすい社会へ

 2012年に放送を開始した『バリバラ』は、「障害者のための情報バラエティー」という位置づけで、障害のある人たちが主体となり、笑いも交えて、社会や一人ひとりの心の中にあるバリアを無くしていく番組としてスタートしました。障害者がお笑いをする企画などは、とても話題になりました。福祉番組としては画期的な番組だと評価されていますが、『バリバラ』が誕生した背景には社会の変化も関係していると思っています。2000年代に公的介護制度を利用して自立生活を送る障害者が増え、なかには自分らしく生きるための時間を表現活動に使う人たちも現れるようになりました。障害者が主体的に参加して制作するバラエティー番組が可能になる条件が整ったと言えるのではないかと思います。

森下光泰

 バリバラでは、放送開始当初から「障害者の描き方・描かれ方」を強く意識してきました。2015年にプロデューサーとして加わった私も、私たちメディアが障害者に対するステレオタイプを生み出してきたのではないか、という問題意識を共有しています。メディアに登場する障害者は、視聴者の多数を占めるであろう健常者を感動させるために消費されているのではないか、「感動ポルノ」になってはいないか、と問いかける番組などを企画してきました。

 こうして走り続けてきた『バリバラ』ですが、やがて大きな転換点を迎えます。2014年に日本は国連の障害者権利条約に批准。これを受けて制定された「障害者差別解消法」が2016年4月に施行されます。この「障害者権利条約」や「障害者差別解消法」は、それまでの「医学モデル」から「社会モデル」へと“障害”の概念を大きく変えるものだったのです。例えば、車いすユーザーがある建物に入ろうとしたが段差があって入れなかったとします。以前であれば、立って歩けないから入れないのだと考え、歩けないことが“障害”だとされました(医学モデル)。しかし「社会モデル」では、建物にスロープやエレベーターがない、あるいはそれに代わる何か(みんなで運ぶ、でもいいわけです)もないから車いすユーザーが入れない、それが“障害”だと考えます。言いかえると、車いすユーザーが使うことを前提としないデザインが“障害”となっていると考えるわけです。マジョリティが暮らしやすいことだけを前提にデザインされた社会では、マイノリティはあちこちで壁にぶつかり、生きづらさを感じます。さらに「社会モデル」でいうところの“障害”とは、いわゆる「障害者」だけがぶつかるものではありません。例えば、段差につまずくのは車いすユーザーだけではありません。高齢者やベビーカーを押した人も、なかに入ることができないかもしれない。“障害”とは、マイノリティを「社会的弱者」にしてしまうこの社会のすべてのバリアのことだとも言えるのです。

 こうした議論を踏まえ、2016年春、『バリバラ』は「みんなのためのバリアフリー・バラエティー」へと位置づけをリニューアルしました。生きづらさを感じているすべての人のバリアを無くすための番組として、題材を障害者に限定せず、外国人や在日コリアン、部落問題、LGBTQなど幅広くマイノリティの課題を取り上げてきました。

マイノリティが安心して暮らせる地域社会に必要なことはなんですか?

共生社会には「行政の支援」と「ちがいへの理解」が不可欠

 誰もが安心安全に暮らせる社会の実現には、生きづらさを抱えるすべての人たちの声を聞いていく必要があります。人によって求める社会像が異なり、合意形成には膨大な時間がかかるかもしれません。しかしここで諦めてしまえば共生社会は理想のままです。

森下光泰

 私が考える、共生社会に導くピースは2つ。1つは「行政の支援」です。この社会でいま、生きづらさを感じている人がいます。将来に絶望したり、命の危機を感じている人もいるかもしれません。適切な支援がなにか、マイノリティの人たちの声に耳を傾けることが大切です。行政の中にマイノリティ当事者を積極的に登用することも重要でしょう。お金のかからない、すぐにできる施策もたくさんあるのではないでしょうか。障害があってもみんなとともに学べる子どもたちの教育環境作りや、現在も施設や病院で暮らす障害者が地域社会で自立して暮らせるようにするためのサポート体制づくり、マイノリティ理解のための情報発信なども行政の大事な役割です。

 もう1つのピースは「ちがいへの理解」。これは住民に向けたものです。理解する姿勢がなければ交流しようと思っても、“自分とは異なる人”という感覚から歩み寄れなくなります。権利ばかり主張している人たちに見えてしまうかもしれません。バリアとはマジックミラーのようなもので、マジョリティにとっては目に見えない空気のようなものですが、マイノリティからは明確に存在する壁です。そこにどんなバリアがあるのか、マイノリティに聞かなければ気づけないことがたくさんあります。さまざまなマイノリティ当事者の声に耳を傾けることが理解につながり、お互いに尊重し合える社会の土台になります。障害者が地域社会で自立して暮らせるようにするためにも住民の理解が不可欠です。子どもの頃から当たり前に障害のある人たちとともに学び、ともに働き、ともに暮らせる社会になれば、自然に多くのバリアは無くなっているはずだと思います。

 バリバラは生きづらさを抱えるすべてのマイノリティのバリアをなくそうと呼びかけ続けてきました。でも、もしかしたら自分にとっては関係の無いこと、関わると面倒くさいこと、と感じている人もおられるかもしれません。しかし、人生のあらゆる局面でマジョリティであり続ける人などほとんどいないのではないでしょうか。自分の存在が誰からも顧みられず声も届かない、そんな場面がやってこないと誰が言えるでしょうか。すべてのマイノリティにとってのバリアをなくす、というのは理想論に聞こえるかも知れません。しかし、みんなが、みんなの声に耳を傾け、自分事として取り組むことでのできる社会、それこそが誰にとっても安心できる社会なのだと思います。

 江戸川区が提唱する「ともに生きるまちを目指す条例」は、『バリバラ』が目指してきた共生社会を具体的に示す、とてもすばらしい行政指針です。また、目標として掲げるだけでなく、マイノリティをはじめとした区民の声を拾い上げようとする取り組みに感銘を受けました。アンケートなどの施策で一人ひとりの声に耳を傾け、地域の課題を見出そうとする姿勢は、マイノリティの心情に寄り添った番組づくりに通じるものです。メディアという異なる立場ではありますが、誰もが安心して暮らせる共生社会を目指す“同志”として、江戸川区のまちづくりをこれからも見守っています。

プロフィール

森下光泰

森下光泰

NHK大阪放送局『バリバラ』プロデューサー兼ディレクター。1971年京都市出身。1997年NHK入局。人権や核をテーマに、歴史番組や福祉番組、ドキュメンタリー番組を制作。2015年から『バリバラ』制作。プロデューサーとして、障害者の自立生活、戦争体験、精神医療、相模原事件と優生思想、薬物依存、外国人技能実習生、人種問題などをテーマに制作。特に2016年夏の生放送「障害×感動の方程式」や部落問題をテーマにした2020年「BLACK IN BURAKU」「Baribara in BURAKU」で注目を集めた。

番組ホームページ
https://www.nhk.jp/p/baribara/