TOMONI
GO TO 2100 ともに生きる江戸川区

未来へのヒント

HINT

人生の局面で悩む人に手を差し伸べる「共生社会」への願い

 2030年までに目指す姿を示した『SDGsビジョン』、2100年の共生社会の姿を描いた『共生社会ビジョン』をもとに、江戸川区ではすべての区民が安心して暮らせる「ともに生きるまち」の実現を目指しています。今回は、俳優として活躍する石田ひかりさんに、俳優業や子育て、社会貢献活動、共生社会に向けた想いについてうかがいました。

石田ひかり

石田さんはどのようなきっかけで芸能界に入りましたか?

アイドル歌手から俳優へ。転機となった“恩人との縁”

 中学1年生の時にスイミングスクールに向かう途中でスカウトされたことがきっかけです。それまでの私はスイミング一筋で、芸能界なんて遠い世界。当初母は猛反対で、実現しない夢として心の奥にしまっていましたが、事務所の方が1年近く根気強く連絡してきたため、母が断りの挨拶に行くと、そこから状況は一変しました。事務所の誠実な姿勢を目の当たりにし、母の中で芸能界へのイメージががらりと変わり、「私の一存で娘の可能性を閉ざしてはいけない」と芸能界入りを後押ししてくれました。

 晴れて芸能界デビューを果たしましたが、はじめは辛い経験の連続でした。アイドル歌手への戸惑い、慣れない歌唱、知名度がないなかでの地道なプロモーション活動……。15歳という多感な時期ということもあり、「こんなことを続けて何になるんだろう」と思い悩みました。それでも、私を世に出そうと奔走する事務所の方々のために、自分にできることを一生懸命取り組みました。転機になったのは、映画監督・大林宣彦さんとの出会いです。歌手活動時のメイクさんが大林監督に私を紹介したことが縁で映画『ふたり』の主演に抜擢いただき、俳優業を本格的に始めることができました。たくさんの苦労が実を結び、事務所のみんなと喜んだことを今でも覚えています。

俳優業と並行して子育てに取り組むなかで、心境や考えに変化はありましたか?

人に頼っていい。俳優業と子育ての両立につながる考えの変化

 出産当時は働き方改革やワンオペ育児という言葉がなかった時代。真面目な性格ということもあり「私が子どもたちをしっかりみないと」と意気込み、息抜きの仕方もわからないまま育児に取り組みましたが、大幅に体重が減るほど心身ともに疲弊してしまいました。実家の母のサポートがなければ、仕事はもとより育児もままならない状態になっていたかもしれません。

 そうした状況に陥った要因は、『子どもは母が育てる』という固定観念です。その考えが変わるきっかけは、信頼できるベビーシッターさんとの出会いでした。人に頼ることにどこか後ろめたさを感じていましたが、子育てへの不安が和らぎ、心にゆとりが生まれたことで、「助けを借りるのは悪いことではない」と思うようになりました。

 都内では実家から離れて暮らし、孤独を感じながら子育てに励む親御さんは多いと思います。伝えたいのは、家庭内で抱え込まないでほしいということ。ベビーシッターや友人、行政に相談しながら、夫婦で協力しながら子育てするのが理想ではないでしょうか。子どもの成長において、親御さんの笑顔ほど有益なものはありません。前向きな気持ちで育児に取り組めるよう、ぜひ色んな人や自治体を頼ってほしいです。

 母となり20年、試行錯誤を重ねながら俳優業と子育てを両立してきました。子どもたちが社会に羽ばたいていくことに一抹の寂しさはありますが、かつて母がそうしてくれたように、私も子どもたちの将来をそっと後押ししたいと思っています。

石田ひかり

現在はどのような活動をしていますか?

人に想いを馳せながら、俳優業とSDGs活動に邁進

 俳優としては、テレビドラマや舞台に精力的に出演しています。“役を演じる”というのは、自分ではない誰かに想いを馳せること、台本では描かれていない背景を想像することなんです。頭の中で作品の世界をひたすら膨らませるのはとても楽しいです。撮影現場に行くと、思い描いた世界はさらに明瞭になります。ドラマの場合、撮影セットで共演者とセリフを交わせるにしたがって、現実のものとして立体的になっていく過程は何度体験しても鳥肌がたちます。

 舞台にはドラマとは異なる楽しさがあります。私にとって舞台とは修行の場。例えば10日間ほどの公演のために、約1か月かけて稽古をしていきます。観客の目の前で演じるのはごまかしのきかない一発勝負のため、緊張感はありますが達成感もひとしおです。コロナ禍で来場規制が敷かれる時期もありましたが、徐々に多くの方に作品を披露できるようになり、舞台は演者と観客が作品を共有する贅沢な空間だとあらためて実感しています。

 また俳優業の傍ら、困窮世帯に食料支援を行うフードバンクの取り組みに参加しています。はじまりは、新聞に掲載されたフードバンク山梨の記事を目にしたことです。その日食べるものに困っている人たちの存在を知り心を痛めつつも、問題解決に力を尽くす人たちに感銘を受けました。さらに、その数日後にドラマの撮影ロケでフードバンク山梨が活動するスーパーマーケットをたまたま訪れたことがきっかけで、同団体代表・米山さんとお会いし、私たち家族もフードバンクに参加するようになりました。

 フードバンクは、食事に困る人たちだけでなく、粉ミルクやおむつなど子育て世帯を支援する、SDGsにも貢献する取り組みです。ただ、現在は物価上昇で困窮世帯はより苦しい生活をしいられており、一当事者として肉や野菜といった生鮮食料品も寄付できる仕組みを構築するなど、時代に則した取り組みに発展させたいです。

石田ひかり

共生社会の実現にはどのようなことが必要だと思いますか?

周囲への思いやりと地域のつながりが、悩みを抱える人の心を救う

 江戸川区では「ともに生きるまち」を目標として掲げ、高齢者や障がいのある方、外国籍のある方、子育て世帯など、様々な立場の人たちが安心して自分らしく暮らせるまちづくりを推進していると聞きました。私自身、友人とのつながりで西葛西の特別養護老人ホームを訪れたことがあります。

 誰一人取り残さない共生社会を妨げる問題はいくつもあると感じます。高齢者の貧困、教育費の高騰、子育て世帯の孤立など、顕在化している問題だけでなく身近な人でも気づきにくい問題もあります。そうした“声なき声”をくみ上げるためには、悩みを打ち明けやすい環境づくりが大事だと思います。普段から地域の人同士で声掛けなどのコミュニケーションをとるだけで、悩んでいる人の気持ちは楽になるはずです。私も幼い娘たちを2人乗りベビーカーに乗せて必死に移動していたときに、通りがかりの方から「お母さん大変だね。大変かもしれないけど幸せ・希望のかたまりだよ」と励ましてもらったことは、うれしい記憶として鮮明に残っています。

 私が思い描く共生社会の姿としては、もっと自分らしく生きられる世の中になってほしいです。日本は真面目な人が多く、様々なルールやマナーに縛られるあまり過度に窮屈な社会になりつつあると感じています。一人ひとりが幸福感を得ながら人生を送るためにも、責任ある行動と周りへの思いやりを前提にしながら、自然体で個性を表現できる世の中へと転換していくことを願っています。

プロフィール

石田ひかり

石田ひかり

1972年東京都生まれ。
1986年に俳優デビュー。1992年連続テレビ小説『ひらり』でヒロインを演じ、1994年『飛龍伝'94-いつの日か白き翼にのって-』にて初舞台、以降数多くの映画・ドラマで主演を演じる。また、1993年『はるか、ノスタルジィ』にて第3回日本映画プロフェッショナル大賞主演女優賞受賞。

近年の主な出演作に 【映画】『わたし達はおとな』、Amazon Original映画『HOMESTAY(ホームステイ)』
【ドラマ】『きょうの猫村さん』、『悪女(わる)~働くのがカッコ悪いなんて誰が言った?~』、『ファイトソング』などがある。
2023年1月クール テレビ朝日系 木曜ドラマ『警視庁アウトサイダー』に出演している。
【舞台】2023.3.10~19『聖なる怪物』、2023 年夏asatte produce「ピエタ」上演が控えている。