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東京2020パラリンピックの水泳競技でアジア記録を更新するなどの活躍を見せた区出身のパラアスリート・辻内彩野さん(辻は「一点しんにょう」)。国際的な舞台では避けて通れない、言語の壁や習慣の違いもポジティブに捉えてしまう彼女が、「世の中がちょっと面白いことになりそう」という動機で狙う、次なる目標とは...。
■東京2020パラリンピックでは50m自由形で7位となり2つの日本記録と、リレーでのアジア記録を更新されました。結果もさることながら、パラスポーツの一大祭典はいかがでしたか。
選手村も含めてパラリンピック会場は実に不思議な空間でした。最大の国際大会だというのに、物理的には家から自転車で行けてしまう隣の区が会場ですから、時差なんてあるわけないし、選手村内の道路は左側通行で標識も日本のものだし、どこでも日本人スタッフがいますし、食事だって味噌汁でもピザでも馴染みの味です。国内大会に海外トップ選手が押し寄せてきたというような感覚でした。
おかげで競技に打ち込む環境としては最高で、結果的に個人での自己ベストとリレーでのアジア記録が出せたわけなので、本当に恵まれた大会だったと思うのですが、実は私は海外遠征の現地の空気を楽しみに競技生活をおくっているところもあるので、贅沢を言うとそうした刺激についてはややマイルドだったなという気もしています。
■逆に海外遠征の場合の面白みというのはどんなところにあるのでしょう?
試合会場の内外を問わず非日常の要素をまるごと楽しんでいるのですが、まずなんといっても言葉でしょうね。日本語が通じないなんて面白過ぎるじゃありませんか(笑)
小さい頃から習っていたので英会話ならある程度いけるのですが、非英語圏では試合会場を一歩出ると現地の言葉でないと通じないということが珍しくありません。ジェスチャーなども含めて「どうやったら伝わるんだろう」と頭をひねる感覚は本当に面白い。
選手同士でも同じで、ブラジル人の友人とは非英語話者同士ということでスマートフォンの翻訳機能を使ったりして四苦八苦のコミュニケーションなのですが、その分、伝わったときの喜びが大きいですね。
■さすがに競技会場の運営はどの国でも国際規格で統一されているのでは?
必ずしもそうとは限らないのが面白いところです。
例えば大会中の練習用プールは各コースを一方通行にして選手が共用するのですが、オーストラリアなど南半球では折り返しが日本とは逆の左側通行、つまり反時計回りの周回になっていることが多いです。
そうするとターンのためにタッチする手を左右が逆にしなければならず、壁を蹴って飛び出す向きも逆。最初は「ううぅっ!」ってなります(笑)。なるけれど、やっているうちに、例えば「レース本番で手のかきのタイミングがずれたときに役に立つんじゃないか」と気が付いたりする。そんな“違い”にハッとすることがあるたびに異文化と接することは本当に面白いと思うんです。
■今日は辻内さんの地元の二之江でお話をうかがっているわけですが、この辺りは古川親水公園があり、江戸川区のほこる「水と緑」の景色が広がっています。弱視の辻内さんからはこうした景色はどのように見えているのでしょう?
私の視界は全体的にぼやけていて、少し離れたものだと輪郭すらはっきりしないくらいなのですが、色覚にはあまり問題がありません。そうするとこの周辺にたくさんある草木の色彩はぼんやりした緑の塊のような感じ。視界の中でかなり存在感があり、いわゆる癒しのイメージに反してかなりにぎやかな景色に見えています。
一方で皆さんにはごみごみして見えるかもしれない都心のビル街などは、私からするとほぼ灰色一色ののっぺりした景色に映り、歩道の端が認識しづらいし、向こうから来る人も景色に溶け込んでしまいます。その点、人工物と緑のコントラストの強い江戸川区の道はだいぶ歩きやすいですね。
■そういえばさきほど二之江神社の裏手、古川親水公園の水辺で行った撮影の際、起伏のある場所でもスムーズに移動されていましたね。
あの辺りは本当の地元の地元、私の庭みたいな場所で、置石の形も地面の感触も体が覚えているくらいだから特別ですね。親水公園には小さいころから裸足で入って涼んだり、玉砂利敷きのところで足つぼマッサージごっこをして「痛い!痛い!」と騒いでみたりしてよく遊んでいました。学校帰りに川面を覗き込んだ友達のランドセルのロックが開いていて、教科書やノートがザーッと水に落ちちゃって、流されていったのを皆で拾い集めたなんてこともあったかな(笑)。古川まつりの金魚つかみは幼少期の一大イベントでしたね。楽しい思い出のそこここに水辺がある。古川は本当に特別な場所です。
■アスリートとしての講演活動などで少年少女と接する機会は多いと思いますが、令和のちびっこたちの印象はいかがですか。
特に接することの多い二之江っ子の特質なのかもしれませんが、今も昔も変わらず無邪気で元気というのは変わらないんだろうなと思ってます。
パラリンピック期間中、選手村の出入り口で親子連れが選手たちを待ち受けていたことがあるのですが、選手村から出てきた私を日本代表選手とみるや「何の選手ですか~?!」って離れたところから大声で聞いてくれました。子どもっていいな、無邪気っていいなって本当に思いましたね。なかなか本人には聞けないじゃありませんか、大人になってしまったら(笑)
■折々に辻内さんが話されていることを聞いていると、あまり人とは比べない、“自分は自分”という潔さを持っているように感じます。幼少期はどんなお子さんでしたか?
やっぱり元気で無邪気な子どもだったはずですが、水泳で選手育成コースに進んだ中学生くらいからだんだんと“自分は自分”というパーソナリティーが育ってきたのではないでしょうか。
競技に取り組む以上、隣の芝生が青く見えてネガティブになりそうな局面というのは多いのですが、「大好きな水の中の時間でそんな嫌な気持ちになってたまるか」と思っていました。団体競技だったらそうした辛さもレギュラーになるために必須なことかもしれないけれど、水泳は自分の中で課題が解決されさえすればタイムが伸びて上の大会に進める競技。その点は私にとって幸いだったかもしれません。
だから今回のパラリンピックの結果にしても、私にとって本当に意味を持っているのは順位よりも、「あれだけの大舞台で自己ベスト記録を出せた」ということの方。持ちタイムでは予選突破すら望めない位置だったのに決勝に進むことができ、さらにそこでも良いタイムが出せたということに、とてもとても満足しているんです。
■今後、パラ水泳にとどまらず、積極的に健常の大会に挑んでいくと伺っています。
動機は二つあって、一つは競技生活での最大の目標である"パラ水泳での世界記録"の達成のためのアプローチとしてです。これまでの経験から「あの大会に出るぞ」と張り切る中でタイムがついてくるという実感があるので、日本選手権やジャパンオープンという大舞台をターゲットにすることで自己記録を更新していきたい。
もう一つは…私のように白杖を持っている視覚障害の選手が注目度の高いジャパンオープンや日本選手権に出てきたら、世の中がちょっと面白いことになりそうだという期待ですね。「え、弱視なの?でも速い!ええっ?!」って世間の人に驚いていただこうじゃないかと企てています。
■そうなるとパラリンピックで世に知られた〝パラ水泳界のニューヒロイン”がさらに世間の注目を集めることになりそうですね。お好きなディズニーでいえば、シンデレラストーリーはまだまだ続くというか…
“ニューヒロイン”はいい加減、卒業させてほしいですね。照れくさいので(笑)。どちらかと言ったら私はすでにベテラン寄りというか、先行する側の立ち位置じゃないかという自覚もありますし。
それから、シンデレラはもちろん素敵なお話ですが、例えば私が一番好きな「プリンセスと魔法のキス」のティアナは、アメリカの南部で暮らす、レストランを持つことを夢見る本当の庶民の女の子。普通の人が夢を追い、その過程でプリンセスになってハッピーエンドを迎える、“誰でもプリンセスになれる”というストーリーにこそ私は惹かれるし、そうした社会こそ理想なんじゃないかという思いがあります。
これからまた私が世間から注目していただける機会があるなら、そんな“誰でも”の一人として、スポーツの世界にとどまらず地元の江戸川区や社会のためにできることに挑戦していきたいですね。
進行性の黄斑ジストロフィーと診断され、大学よりパラ競泳に転向。
2018年アジアパラ大会や2019年パラ水泳世界選手権にも出場しメダルを獲得するなど、数々の日本記録を更新している。
アジア記録(長水路)
200m自由形(2:13.48)/50mバタフライ(0:30.93)/50m背泳ぎ(0:33.66)
日本記録(長水路)
50m自由形(0:27.59)/100m自由形(0:59.95)/400m自由形(4:49.96)/100m背泳ぎ(1:11.52)/100m平泳ぎ(1:19.85)/100mバタフライ(1:11.01)/200m個人メドレー(2:33.27)
(2021年9月現在)