TOMONI
GO TO 2100 ともに生きる江戸川区
三浦しをん
Vol.9

「楽しい木陰」

2022.10.21

三浦しをんMiura Shion

楽しい木陰

 拙宅の近所のコンビニエンスストアでは、名札のお名前からしてベトナムのかたと思しき店員さんが働いている。昨今のコンビニの業務内容は多岐にわたるが、店員さんはどんな用件にもテキパキと笑顔で対応。「収入印紙をください」という求めにもさっと応じられたときは、さすがプロだなと感じ入った。私だったらまちがって切手を差しだしているところだ。
 しかもめちゃくちゃ親切で、私は買った商品をエコバッグに詰めそびれ、レジ台に置き忘れて立ち去ってしまうことがたまにあるのだが、そのたびに「お客さまー、お忘れ物ですー!」と走って追いかけてきてくださる。いつもご迷惑をおかけして申し訳ない。へこへことお詫び&お礼を言っているうちに、なんとなく顔見知りになり、レジに立つ店員さんと挨拶するようになった。
 そんなある夏の夕方、商店街を歩いていた私は、前方に私服姿の店員さんを発見した。同郷のお友だちらしきひとと五人ぐらいの一団になって、楽しそうにおしゃべりしながら、駅のほうへ向かっている。どこかへ飲みにいくところだろうか。いや、駅の向こう側にでも社宅があって、近隣のコンビニで働く仲間とともに帰宅途中なのかもしれない。
 などと思っていたら、駅前の信号が赤になった。店員さん一行は道の隅っこによけ、街路樹の木陰にしゃがんで、なおも楽しげにおしゃべりを続行した。そして信号が青になると、おもむろに立ちあがり、道を渡って雑踏のなかに消えていったのだった。
 信号が変わるのをしゃがんで待つという発想が私にはなく、ちょっとびっくりしたが、愉快な気持ちにもなった。以前、インドネシアに行ったとき、木陰で必ずと言っていいほど人々がしゃがんで会話に花を咲かせており、なるほど、涼しいし楽しいしでいいものだなと感じたのを思い出したからだ。
 インドネシアとベトナムではもちろん国がちがうが、日射しが強い地域ならではの知恵かもしれぬと推測され、してみると年々歳々、夏の暑さがひどくなっている日本においても、わずかな隙を見逃さずに木陰で体を休める習慣を取り入れたほうがいい気がする。
 そもそも日本でも、田んぼや畑のかたわらに大きな木が生えていて、農作業の合間に木陰で休憩ということがあるはずだ。町の暮らしであっても、もっと積極果敢に木陰でしゃがもうではないか。
 と思いつつ、「しゃがんで信号待ち」を実践する勇気がまだ出ないのだが、南の国の清涼な風を感じさせるような光景は忘れがたい。ベトナム全体の習慣ではなく、店員さんの仲間内での習慣に過ぎないかもしれないが、とにかく、私にはない発想、感性に思いがけず触れ、「そりゃ木陰があったら涼んだほうがいいな」と当然のことに気づかされた。自分とは異なるひと、「他者」がいてこそ、世界は日々刻々と新たな姿を見せ、自身のなかにも輝きと刺激、豊穣をもたらしてくれるものなのだとつくづく感じた。
 その後も私は近所のコンビニで店員さんと挨拶している。最近はレジ台に忘れ物がないか、店員さんがさりげなく確認してくれるようになった。お手数をおかけして申し訳ない。
 多くのひとが木陰でしゃがんで信号待ちをし、ついでに「暑いですねえ」などとちょっとした会話を交わす社会になったら、あくせくせずにすんで楽しいだろうなと夢想する。

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三浦しをん
Profile

三浦しをん

三浦しをん 小説家。1976年東京生まれ。2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞、河合隼雄物語賞、2019年『愛なき世界』で日本植物学会賞特別賞を受賞。
 その他の小説に『風が強く吹いている』『神去なあなあ日常』『光』『エレジーは流れない』など、エッセイに『本屋さんで待ちあわせ』『のっけから失礼します』『マナーはいらない 小説の書きかた講座』などがある。

撮影:松蔭浩之

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