人とともに生きる
僕は小説や歌詞を書いているが、つまるところそれは人を書いているということだ。例外はあるかもしれないけれど、小説でもエッセイでも歌詞でも、そこに書かれてあるのは人のことだ。
書くときは主人公という人を想像し、その人になりきったり、その人から見た君や、あなたや、仲間や、家族や、ライバルのことを想像する。人と人とを関係させ、そこに生まれる気持ちや、関係性の変化を想像する。その人たちの願望や、運命や、現実を想像する。
A君はBさんに出会って恋に落ちたけど、C君と出会ったらどんな反応をするだろう。そのときDさんは何て思うだろう。Bさんの両親はどんな人で、A君のことをどう思っているだろう。C君とEさんは中学生のときどんな会話を交わしたのだろう。などと頑張って、いろいろなことを想像する。
とはいえそんな個人の想像力などあざ笑うかのように、世の中には多種多様な個性や、生き方や、関係性がある。想像なんて追いつくわけがない。事実は小説より奇なり、なんてことを言うけれど、そんなのは当たり前以前の、真実的な事柄だ。
一番親しい人のことだって、僕らはどれほどわかっているのだろう?
知っている、わかっている、といっても、それはやっぱり、ちっぽけな想像にすぎないんじゃないだろうか? どんなに身近な人だったとしても、丹念に説明してもらったとしても、結局のところその内面は、想像するしかない。想像を何度も何度も繰り返しているうちに、その精度が上がったように感じ、その人のことを理解した気になっている……だけなんじゃないだろうか。
そんな人だとは思わなかった、とか、あなたには失望した、とか、トラブルが起こったときによく聞くような科白がある。もしそんなふうなことを言ったり、感じたりすることがあったら、それはつまり自分の想像が至らなかったということだ。相手に対する想像が、ねつ造になっていたのかもしれない。
人は人とともに生きる。
そうするしかないし、そうしたいと願っている。ならば相手を尊重し、誠実に対話し、想像し、理解に近付いていくしかない。個々の人間は、多様な存在のまま尊重されるべきだが、自分にできることは、たった一つしかないのだから。
自分以外の他者を理解しようとし、尊重する。
そのことはきっと、自分の喜びや楽しみに繋がる。僕もそうだし、みなさんも同じではないだろうか。僕らは人に興味を持って、話をたくさん聞きたい。古今東西の出来事や歴史に触れ、そこにどんな感情や事情があったのか思いを馳せたい。あなたの本当の気持ちを知りたい。
キーになるのは想像力だ。あれこれ想像するのは、やっぱり楽しいわけだし。