TOMONI
GO TO 2100 ともに生きる江戸川区
岡田 育
Vol.14

積んでる途中

2024.08.05

岡田 育Okada Iku

積んでる途中

 東京に住んでいた頃、「大丈夫?」と声をかけられることなど滅多になかった。生まれ育った街を闊歩する私が、いかにも大丈夫そうに見えたからだろう。ニューヨークで暮らす今はしょっちゅう「大丈夫?」と声をかけられる。まるで大丈夫そうには見えないからだろう。
 重い荷物を抱えて階段を上り下りするとき、あちこちに掲げられた長い長い注意書きを一行ずつ指で辿って律儀に読んでいるとき、初めて降りた駅で東西南北を確認しているとき、あるいは、困った相手に絡まれてうまく言い返せずにいるとき、「おまえ、助けが必要か?」と、見知らぬ誰かが構いに来る。ま、なんとかやれてます、とグッと親指を立てる。
 いつか流暢な英語を身につけ、みんなと同じものを飲み食いし、同じジョークで笑い合い、アメリカの社会に完璧に溶け込まなくては! といった気負いは、在住数年でみるみる薄れていった。代わりに上達したのは、たとえ和食材が調達できずともなんとなく和食っぽいものを自炊する術、私は異文化出身だからそんな冗談では笑いませんよと冷ややかに切り返す術、そして、流暢でなくとも身振り手振りを交えた強引な意思疎通で日常生活を前へ前へと押し進める術である。
 ばばばばばばっと厳しい内容をまくしたてた窓口の人が、私の呆け顔を見て「あ、大丈夫じゃなかった」と気づき、「やさしい英語」に切り換えて一から説明し直してくれることがある。逆にこちらがガイドすることもある。言葉の通じない移民から、初めての大都会で迷子になったアメリカ人まで、この街の大半を占めるのは私と同じヨソモノだ。接点ゼロの状態から、口を出し、手で示し、目でうかがい、何かが通い合うまで何度でも繰り返す。
 ニューヨークは街並みも文化もツギハギだらけ、子供の積木遊びのように危なっかしく、永遠に整理整頓がなされず、目を疑うようなトラブルも多発する。衝突が激しく、心無い差別を受けることもある。ただこの街は、何もかも完璧に調和せずともよい、という人々の信念で形作られている、そこが魅力だとも思う。だから100点満点の万事解決でなくとも、こちらも不思議と「大丈夫!」と返せてしまう。60点か70点あれば死にゃあしない、進んだ先でまた助け舟も来るだろう。
 苦もなく難なく高得点が取れていた東京での生活のほうがなぜか、我慢や無理や辛抱、イライラすることも多かった。今は一時帰国したとき目に映るものも変わる。地下鉄の各駅に振られた番号、私は無くても困らないけど、誰かに道案内するときは便利だな。外国語対応の注意書き、もっと語数を減らして文字を大きくしないと、読んでもらえないだろ。街中にこんなにベンチが少ないんじゃ、地べたに座り込む旅行者を責められないよな。自分がアウェイならここでつまづく、という箇所がよくわかる。そこに誰かが苦心して積木を積んだ形跡も辿れる。おかげで改善の余地にも気づく。
 慣れたそぶりで身を縮めながら満員電車に乗り込む背広の外国人、コンビニできびきび働く留学生らしき店員、すっかり大丈夫そう。当駅止まりの車両から降りようとしない旅装の親子連れ、英語のメニューと日本語ボタンしかない食券販売機とを見比べて硬直する人、あ、大丈夫でなさそう。
 気づけば自然と「助けが要るか?」と声をかけている。そこそこ上出来、ツギハギで満点、完璧でなくとも共に生きられる社会を目指して。

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岡田育(おかだ・いく)
Profile

岡田 育

文筆家。東京都出身。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』『天国飯と地獄耳』『40歳までにコレをやめる』『女の節目は両A面』ほか。最新刊は『我は、おばさん』。2015年より米国ニューヨーク在住。

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